濡れ雪/既視感

湿っぽい雪、べた雪、濡れ雪とも言うらしい、が音もなく激しく降り続いている。藻岩山見えず。視界が分厚い雪のカーテンに遮られた気分。目は、その向こう側に藻岩山を見ようとしている。

昨日の朝、温泉宿のテレビでアマゾン川に取材したドキュメンタリー番組のごく一部を見た。細切れに流れる実際のアマゾンの映像に目をひかれた。特に、アマゾン川と黒河がまじわらずに二色の川として並流する光景には目を奪われた。「アマゾンがコーヒー色だとすれば、リオ・ネグロはさしずめカフェオレ色です!」というガイド役の俳優の興奮した声も印象に残った。ふと既視感を覚えて、何だろう? どこで「見た」のだろうと記憶をまさぐった。ああ、吉増剛造『螺旋歌』の中か。以前、引用したことを思い出した。

ちいさな南米の地図がおかれ、……、田村さんの文章はこんなふうにしてはじまっていた。わたしがここを読んだのは、読みすすめはじめたのは、アマゾンと、黒河(Rio Negro)がまじわる、いや、まじわらずにしばらく二色の川として、並流する、港湾都市マナウス(Manaus)だった。わたしも地図で読んで、アマゾンや黒河(Rio Negro)の源流、アンデスの山奥(山の背、……)を視界に入れていたような気がします。これらの河も、かつては別の名の、いや名のない大河であったはずで、そう考えることによって、河底の響きはふかくなるのだと気がつき、わたしもまた旅の途上にあった。

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この文章の向こう側に、私はたしかに、「アマゾン川と黒河(Rio Negro)がまじわる、いや、まじわらずに二色の川として、並流する」のを見ていたのだ。