現代の「寒山拾得図」?


あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝 (ちくま文庫)

佐野眞一は早くも1989年に「バブル時代」を総括する本を世に問うた。ただし、当時はまだ「バブル」という言葉は人口に膾炙しておらず、「あとがき」の中でも「土地と株に狂奔し、座標軸を失って、空騒ぎのイベントや高価なファッションにうつつを抜かし、子供の教育や占いに血相変えて走り回った昭和最晩年の世紀末的光景」、「空前の水ぶくれ的マネーゲーム状況」などと表現された。そして、それが文庫化された10年後の1998年に書かれた「文庫版のためのあとがき」の中では、当たり前のように「バブル〜」という言葉が頻繁に、10回以上使われている。


寒山拾得
左「寒山」拡大図右「拾得」拡大図「Gallery - IX 曽我蕭白の世界」 - 無為庵乃書窓)

ところで、驚いたのは、「バブル時代」の一種の狂気を曽我簫白(しょうはく)の「寒山拾得(かんざんじっとく)図」に描かれた狂気になぞらえていることだった。

 子供の頃、祖父に連れられて上野の美術館で曽我簫白(しょうはく)の「寒山拾得(かんざんじっとく)図」をみたことがある。そのときの強烈な印象は、いまも鮮明である。
 蓬髪(ほうはつ)頭*1にしどけなく衣類をまとった寒山(かんざん)が、経巻をもち、岩に座って笑っている。その目はあきらかに狂っており、見ているだけで寒気がしてきた。河童のような禿(かむろ)頭の拾得(じっとく)は、佝僂(くる)のように背中を丸め、手に箒をもって弊衣で立っている。長く爪ののびた反対の手はあらぬ方向を指しておりおり、こちらも狂人のたたずまいが色濃い。
 (中略)
 昭和末期から平成にかけて日本列島を襲った「バブルの時代」とは、人間の生活の中心に現金が据えられ、金の前では人の命もなにもかもが羽毛のように軽くなった時代だった。あの時代、政治家から官僚、経営者から庶民にいたるまで拝金思想に凝り固まった。「清貧の思想」などというつもりはさらさらないが、貧しさにも「功徳」があることを、かつての日本人は本能的に知っていた。家に金がなければ泥棒に入られる心配もなく、戸じまりする必要もない。日本人はついこの間までそのことを知悉(ちしつ)し、かつ実践していたのである。(309頁〜310頁)

「バブルの時代」とは、一億日本人が熱病のような拝金思想に冒された、狂った一ページだった。本書でとりあげた六人は、その狂った一ページのなかで華々しいフットライトを浴びながら、踊り狂った代表的な紳士と淑女だちである。(312頁)

 私がこの本で企画したことは、「バブルの時代」というものを六人の男女に仮託して、くっきりと立ち上げることだった。その結果、狂気と醜悪さに満ちたおぞましい人間群像を描くことになってしまった。しかし、それもまた「バブルの時代」ならではの産物だったと思っている。
 これは、あの泡だつような狂乱の時代を背景として描いた、私なりの「寒山拾得図」である。(317頁)

私が曽我蕭白の絵を初めて見たのは、テレビの画面を通しての「柳下鬼女図屏風」だった。十年ほど前の「日曜美術館」における特集だった。ゲストとして舞踏家の大野一雄が招かれていた。


柳下鬼女図屏風
拡大図「Gallery - IX 曽我蕭白の世界」 - 無為庵乃書窓)

番組の中で実物の「柳下鬼女図屏風」の前に案内された大野一雄が無言ですぐに「踊り」はじめたときの衝撃が今でも生傷のように残っている。簫白の絵から伝わって来る得体の知れない迫力だけでなく、それに瞬時に深く共振して「踊り」はじめた大野一雄の一見穏やかに見える表情と仕種から滲み出て来る凄みを再認識したのだった。

そのとき強烈に感じた一種の狂気は、佐野眞一のいうバブル時代の「狂乱」ともいうべき浅い狂気とは全く異質な、非常に冷静で透明な深い狂気のように感じた。

*1:蓬髪とは、長く伸びてくしゃくしゃに乱れた髪。