ミカミ先生の戸惑い

ミカミ先生の春学期の授業もそろそろ終わる。今日は入門演習という一年生向けの授業の最終回だった。ミカミ先生から14人の学生ひとりひとりに忠告と激励の言葉がおくられた。そしていつものように、ひとりひとりに何気ない質問を向け、学生の口から飛び出す意外な情報に一喜一憂する時間が過ぎた。その一見、気軽におしゃべりしているように思われるかもしれない時間に、学生たちはお互いに様々な情報交換をしたり、お互いの近況を知ることになる。実はそれは他人の話にきちんと耳を傾けたり、どんな状況においても自分の考えなどをきちんと語れるようになるためのミカミ先生流の訓練なのだった。ミカミ先生は臨機応変に手綱を締めたり緩めたりする。場合によっては、手綱を緩めて、できるだけ学生たちが自発的に口を開くに任せて、ときどき交通整理のような口を挟むだけになることもある。手綱を思いっきり締めるときにはここには書けないほど怖い人になる。そんな時間はあっという間に過ぎる。その後、いつもなら一週間の自分の生活全般を振り返って気づいたことを書く時間になるのだが、今日は最終回である。四月に入学してからの四ヶ月間を大いに振り返って書くことになった。みんなかなり真剣に振り返ってたくさん書いていた。授業が終わってから、ミカミ先生は誤字脱字などをチェックしながら一枚一枚に丁寧に目を通す。へー、とか、ホー、とか感嘆の声が聞こえる。みんな、結構成長したじゃん、、とかブツブツ言っている。すると、そんな中の一枚にじーっと目を落とし、ニヤニヤし始めた。そこにはミカミ先生に対するこんな寸評が書かれていたのである。

三上さん(注:最近の大学生のなかにはなぜか「三上先生」ではなく、「三上さん」と呼ぶ者が増えているという不思議な現象にミカミ先生は大分以前から気づいていて、その理由を目下調査研究中である)に対しては正直に「この人は自分の理想型だな、尊敬するな」と思います。心の広さ、観察力、説得力、冷静さ、どの点を見ても大人だなと思います。自分は一時期教員を目指そうかなと思いましたが、諦めてしまいました。三上さんのような先生がもっといろんな所でいろんな若者と関われば、世の中少しは良くなるのになと思いました。

ミカミ先生は、予想外の褒め言葉に戸惑いつつも、ああ見えてじつは単純なので、感激して目頭を熱くさせていた。「Kの奴、人を褒める術も身につけたか。よしよし、褒められて悪い気はしない、、」という声が聞こえる。しかし、これを奥さんに見せたら、「誰? この三上さんて?」と言われるに違いない。