マサオ君のブログの思想3

ある学生に、「ブログやってて、何がそんなに楽しいんですか? つまんなくないっすか?」と質問されたミカミ先生、いやマサオ君は、「君ねえ、分かってないなあ」と答えたかと思うと、以下のような内容のことを一気にまくしたてた。

ブログってさ、全部自分でやんなきゃいけないじゃない。執筆、撮影、編集、公開。そこがしんどいんだけど、考えようによっては、だらかこそ、面白い、わけでね、毎日自分で新聞か雑誌か本のひな形を作っているようなもんだと感じているんだよ。ある時期から技術には手も口も出さなくなったけど、コンテンツって言うの? そう、内容至上主義で、デザイン関係はまあ直観的に、そして編集には時間をかけて、あとは野となれ山となれという気持ちで公開に踏み切る。スリルあるでしょ。個人にとっては画期的なメディアになりうると思ってるんだよ。今や古典的な思いかもしれないけどね。で、ブログの将来というか未来形ということを以前は想像したりもしていたけど、今は違う。「ブログ」という言葉さえ使いたくないという心境なんだ。メディアは「進化する」という発想を捨てたんだ。これも人口に膾炙(かいしゃ)した言い方かもしれないけど、メディアは「複雑化する」と見ているんだ。つまり、選択肢が増えるだけの話だと。だから、問題はどれを選んで、そこで何をするか、ということに収斂するってわけさ。極端な話、ブログでツイッターやったっていいし、ツイッターをブログのように使ったっていいわけでしょ。だれに文句を言われる筋合いもない。要は、当該のメディアに使われる、つまり「らしい」ことに縛られる、ことだけは避けるということかな。使わせてもらっておいていい気なもんかもしれないけど、サービス提供者にそんな使われ方は予想もしていませんでした、と言わせるくらいに、使い倒すというか、ブログがブログでなくなるまでブログをやり抜く、という感じかな。新しい技術的展開のヒントだって、そういう努力のなかからひょっこり出て来るかも知れないじゃない?

それを聞いていた学生はきょとんとしていたが、一言こういいやがった。「やっぱり、楽しくはなさそうっすね」