下川さん(http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20090829#c1252040965)、もう一歩踏み込んでほしかったなあ。大事な話なので、こちらで応答します。
ぼくの理想のひとつは、ブログに書かせてもらった近隣のおじいさん、おばあさんたちとブログを話のネタにからかったり、からかわれたりするようになることです。ところが、大半の方々はインターネットなんて関係ない生活を送っているので、いきなりブログなんて言っても話は通じません。ですから、写真を撮らせてもらって、ブログで紹介したり、写真を差し上げたりして、写真の力を借りて、写真を仲立ちにして、そういう理想に近づきたいと思っているんです。丸腰ではなかなかできない。弱虫です。
でも、写真にしても、デジタル写真になると、話はなかなか通じなかったり、ぼくの写真へのこだわりというか探究心みたいな欲もあるので、今のところ、写真を介したぎくしゃくしたやりとりの段階に留まっています。それでも、そんな、なかなか話が通じないことを楽しんでいることも確かです。<写真配達夫>で終わってもいいかな、くらいにも思っています。お金の代わりに自分の畑で採れた野菜をくれる方が多いので、物々交換という原始的な商売やってるようなもんかもしれませんね。その意味では、「商売繁盛」すれば、面白いかなと思っています。
ところで、何度か紹介したイタリアの田舎町で変な写真を撮り続けたマリオ・ジャコメッリは(http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20090902/p4)、心の病んだ人や身寄もなく死の床についた人たちの写真もたくさん撮っています。そういう人たちを直視するジャコメッリの眼差しの強さと深さに感動しました。悲惨なはずの現実がジャコメッリの眼差しによって不思議にもユーモラスな空気に包まれてゆく。いずれは自分もそうなる、いつそうなっても不思議ではないという現実の地平にしっかりと足をつけて生きた人だったんだろうなと思います。観念的な「死」ではなく、目の前で死んでゆく人を最期まで見届け、写真に撮ることで弔うことまでちゃんとやり抜く。そんなジャコメッリは写真を撮るという行為に関するぼくの理想でもあります。