井伏鱒二『黒い雨』を久しぶりに、二十年以上ぶりに読む。特に「原爆小説」あるいは「戦争文学」という文脈では読んでいない自分に気づく。もちろん、凄惨な被爆現場や被爆者の緻密な描写には改めて感心したが、それよりもむしろ登場人物の視線を借りてふと目をやる自然の細部の描写や忘れられた日本人の生活の知恵の記録として読める箇所に強く惹かれた。そして、井伏鱒二は、河上徹太郎が解説で書いているように(397頁)、被爆後も続く日常性のうちに原爆の雨すなわち「黒い雨」を降らせただけでなく、そこに単純な希望ではなく、むしろ不吉な兆候として、「白い虹」を太陽に横ざまに貫かせた(367頁)ところに非常に意味深長なものを感じた。
ところで、『黒い雨』ではケンポナシや鯉や鰻をはじめとする動植物が微妙なタッチで描かれているのが非常に印象的である。一番最後に登場するのは鯉の養魚池に植えられた蓴菜(じゅんさい)である。
その翌日の午後、重松は孵化池の様子を見に行った。毛子の成育は上々で、大きい方の養魚池の浅くなっている片隅に蓴菜(じゅんさい)が植えてあった。たぶん庄吉さんが城山の弁天地から採って来て植えたのだろう。緑色に光る楕円状の葉片が水面に点々と浮んでいるなかに、細い花梗(かこう)をもたげて暗紫色の小さな花を咲かせていた。
「今、もし、向うの山に虹が出たら奇蹟が起きる。白い虹ではなくて、五彩の虹が出たら矢須子の病気が治るんだ」
どうせ叶わぬことと分かっていても、重松は向うの山に目を移してそう占った。(384頁)
万葉集に「ぬなは(沼縄)」として「わが情/ゆたにたゆたに/浮ぬなは/辺にも奥にも/よりかつましじ」と詠まれた蓴菜(じゅんさい)の花は、ちなみにこんなである。
ジュンサイ(蓴菜, Water shield, Brasenia schreberi)
かすかに気になったのは「紫色」の連想である。重松の「被爆日記」の8月11日に、6日の朝早く広島市内の長寿園という農園で畑仕事をしていて被爆し、5日後に亡くなった蜜田サキの被爆直後に見た川の様子が出てくる。
川の水が黒ずんだ紫色に見え、この世の終末のような気がして怖かった。(228頁)