記憶の彼方へ16:土を食べたことのある私


私が3歳の頃、昭和35年(1960)頃の写真。撮影者は父親。場所は不明。いつもそばに木と土があった。どの家の壁も木の板だった。板塀が多かった。幹線道路以外の道は舗装されていなかった。雨が降ればぬかるんで、あちこちに水たまりができ、乾燥して風が吹けば土埃が舞った。池や湧き水や小川が近所のあちこちにあった。木と土と水の匂いや感触が体に染み付いている。『夜になる前に』のレイナルド・アレナスじゃないが、土を食べて、お腹に回虫が湧いて家族が大慌てした場面の断片的な微かな記憶がある。虫下しと呼ばれる薬があったなあ。当時は現在に比べれば不潔と言えば不潔だったのかもしれないが、大げさに言えば、自然との共生度合いが高かった、あるいは生命としての免疫力が今よりもずっと高かったと言えるような気もする。小学生の頃には回虫検査のための検便やギョウ虫検査が定期的にあったことを懐かしく思い出す。検便では小さなマッチ箱にウンチを入れて学校に持って行った。ちょっと恥ずかしかった。ギョウ虫検査は粘着シールのようなものを肛門にペタッと貼り付けなくてはならなかった。嫌だった。母親が嫌がる私をなだめすかして、どうやったのだろう? とにかくお尻の穴にペッタっとシールを貼ったはずだ。そのシールを貼られる時の肛門の感覚、全身がきゅっと縮こまる感覚を今でもはっきりと覚えている。井伏鱒二の『黒い雨』の中で、矢須子さんがギョウ虫に苦しむ場面が浮ぶ、、。土を食べるなんてもってのほか、除菌や脱臭などに顕著な清潔志向が加速する世の中になって、私たちが得たものは実はストレス以外に何かあるのだろうか、などと不遜なことをちらっと思ったりした。


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