図像調査士、想像界の漂泊


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高橋啓訳『ブーヴィエの世界』(みすず書房、2007年)の著者略歴にはニコラ・ブーヴィエ(Nicolas Bouvier, 1929–1998)は「スイスの作家・旅行家・図像調査士」とある。図像調査士? 

本書に「解説」として収められた、翻訳の底本クワルト版ブーヴィエ作品集(Nicolas Bouvier : Œuvres, col. Quarto, Éd. Gallimard, 2004)に収められているクリスティーヌ・ジョルディス(Christine Jordis)による「序文」では、「図像調査士」に「イコノグラフ」とルビが振られている。職業としてのIconograph?


 図像調査士、ニコラ・ブーヴィエ、274頁


 世界地図を最初に大移動した時期を過ぎたのち、人生の三十年にわたって、彼(ニコラ・ブーヴィエ)は図像調査士(イコノグラフ)として生きた。この言葉は、彼が好んで語ったところによれば、聞いた相手をこのうえなく困惑に陥らせるものだった。鼠使いと同じくらい、あまり世間には知られていない職業。イコノグラフ、偶像破壊者(イコノクラスト)ではない。すなわち「必要な図像をどこでどのようにして見つければいいのかわからない著者あるいは書籍・雑誌の編集者、デザイナー、衣裳係、広告業者などに代わってその図像を探す仕事」(『ある図像調査士の苦難』)
 五十キロの機材を背負って様々な図書館を駆け回っては、ふだんは人の出入りしない奥の奥まで入り込み、ジュネーブ図書館ではありとあらゆる場所に撮影機材を持ち込んで設置し、そこでできるだけ風変わりな、できるだけ稀少な図版を求めて、たとえば「草稿、魔術書、羊皮紙の写本、揺籃期本(インクナブラ)、植物学の、錬金術の、航海術の論文」などを丹念に調べ上げる。今度は想像界の地図を移動していたわけだ。「つまり私は広大な図像の列島を探査するという絶対的な至福の時を過ごし、かつて私がなしえた、たぶんこれからもするだろう勉強と旅に劣らず、私を豊かにしてくれたのだ。図像を見るときのほとんど味覚的な快楽もさることながら、掘り出し物の資料をフレーミングし、撮影し、静かな暗室でみずから現像するときがなんともいえないのだ」(『八年戦争およびその他のテクスト』)


なるほど。ジョルディスが語るように、偶像破壊者(イコノクラスト)ではないのはもちろんだが、イコノグラフィー(Iconography)からイコノロジー(Iconology)へと精緻化、深化した学術的な図像学の仕事でもなかった。ブーヴィエの言うイコノグラフ(Iconograph)とは、あくまで糊口をしのぐためのブーヴィエ流儀の世俗的な職業であり、ブーヴィエ自身が語ったように、それはたしかに古今東西の「できるだけ風変わりな、できるだけ稀少な図版」を通してのいわば人類の想像界の大陸の周縁、波打ち際をめぐる旅、漂泊でもあったのだろう。ちなみに、ブーヴィエがワールブルクAby Warburg, 1866–1929)やパノフスキーErwin Panofsky, 1892–1968)の仕事を知らなかったとは考えにくい。ブーヴィエにとっては彼等の仕事は想像界の大陸のいわば中心に関するものに見えていたのかもしれない。


追記:いや、ニコラ・ブーヴィエはある意味ではやはり「偶像破壊者」だった、、。


参照


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