リフルカ(蘭法華高台)
登別地区と幌別地区の間に、長尾根が海に突き出していて、そこがリ・フル・カ(ri-hur-ka 高い・丘・の上)と呼ばれていた。幌別側の蘭法華(富浦)から登る急斜面の七折道が険しかったので、旧記の中では街道の難所のように書かれた処であるが、現在では、その根もとを緩傾斜で越える立派な道ができて知らないうちに通れるようになった。
富浦 とみうら(蘭法華 らんぼっけ)
登別川の川下から、すぐ西側のリ・フルカ(高い・丘)と呼ばれた丘陵を越えた処が富浦である。リフルカの富浦側は崖のような斜面でそこに電光形の急坂がついて、幕末の記録では難所とされていた(今でも鉄道のトンネルのすぐ山側にその道が残っている)。それでそこをランポッケ(ran-pok-ke 坂・の下・の処)、あるいは終わりの処を省いてランポクと呼ばれていた。日本地名流にいえば坂本である。それに漢字を当てて蘭法華という地名になっていたが、近年富浦と改名された。富み栄えるようにとの願望からの名であろう。(山田秀三『北海道の地名』北海道新聞社、1984年、393頁)
週末所用で室蘭まで車で往復した。札幌から高速で南下し苫小牧の西で高速をおりて、太平洋岸に沿って通じる国道36号線に出る。その後、社台、白老、萩野、北吉原、竹浦、虎杖浜、登別、富浦、幌別、鷲別と、私にとっては馴染み深い地名が続く。海沿いを室蘭本線が国道36号線とほぼ並行する。両者ともに私の個人史における大動脈のような道だ。何度往復したことだろう。行きと帰りに国道から横道に外れ、さらに海岸に近づいて、数カ所の浦や港で海を眺めた。砂浜の近くにはハマナスやハマエンドウやミヤコグサなどの海浜植物の花が咲いていた。社台では空地にアヤメの群生を見た。どこでもヒバリの甲高いさえずりが耳についた。風に揺れる蘆に止まり遊ぶようにバランスをとるノビタキを見た。そして、なんと太い電線に止まるカササギを見た。九州の留鳥と聞いていたが、90年代以降、なぜか北海道の胆振地方、室蘭から苫小牧にかけて生息していることが確認されているらしい。千歳市で見たという最近の報告もあるようだ。
アヤメ(菖蒲, Siberian iris, Iris sanguinea)
ハマナス(浜茄子, Ramanas Rose, Rosa rugosa Thunb.)
ハマエンドウ(浜豌豆, Beach Pea, Lathyrus japonicus)
ミヤコグサ(都草, Bird's-foot Trefoil, Lotus corniculatus var. japonicus)
ムシトリナデシコ(虫取り撫子, Silene armeria)の白花か。アポイマンテマ(Silene repens var. apoiensis)に似ている。
コウリンタンポポ(紅輪蒲公英, Orange Hawkweed, Hieracium aurantiacum)、別名エフデギク(絵筆菊)。
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ノビタキ(野鶲, African Stonechat, Saxicola torquata)
カササギ(鵲, European Magpie, Pica pica)
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ところで、1965年、ニコラ・ブーヴィエは白老のアイヌを訪ね、浜辺を歩いて宿泊していた登別温泉まで戻ったときのことを次のように記している。
夕方、私は白老を発った。空はどんよりくもっていた。歩きたかったので、浜辺を通って登別に戻ることにした。海と道路のあいだに広がる沼沢地を渡ると、白骨のような木の根が点在する黒い砂浜に出た。人影もなく、足跡さえなかった。あちこちに、アザラシが通った跡にできる深い窪みがあり、分厚い霧の層が乗合バスのように行きつ戻りつしていた。私は靴を脱ぎ、鴎の冷ややかな鳴き声と目に見えない波の音に耳を傾けながら、砂を踏みしめていった。二十キロにおよぶ砂浜が私のものだった。海よ、と同じ言葉を繰り返し、満ち足りた気持ちになった。喜びは単純であればあるほどよい。一時間もすると日はとっぷりと暮れ、やがて私は海と潟をつないでいる水路に行きあたった。身をかがめると、かなり勢いのある流れが水面に波紋をつくっているのが見えた。だが後戻りする気にはなれず、闇夜に沼地を渡ることくらいなんでもないと思った。私は衣類をリュックサックにつめ、それを頭にのせて、水路のなかに入っていった。思ったよりずっと深く、引き潮が激しく沖のほうに向かって流れていた。ウニやガラスの破片やナマコを踏みつけはしないかと不安になった。中ほどまで達したとき、あやうく転びそうになった。ちょうどそのときだった、墨を流したような闇のなかで、脇の下まで水に浸かり、強い流れに足をとられまいとして不安定な姿勢をとっていたとき、私には見えた。エリアーヌが私の留守中に泊めてやっている友達が、一千キロかなたで、思いきりあくびをしながら私たちのベッドから抜け出ていくところをが見えたのだ。私のようなとんまが何の得もないのに、こんな不毛な場所で命を落としかけると、この種の妄想をまったくコントロールできなくなってしまうものだ。このばかげた猜疑心にうろたえた私は、あやうくコルクのように沖に流され、津軽海峡にとりついている亡霊の軍団と合流するところだった。さいわいすぐに足が底についた。いつも美しく死にたいと思ってきた私が、こんな妄想に足をとられるなんて!
むこう側の岸辺にたどり着くと、マッチをたくさんすって小道をたどり、流砂を避けながら沼を越えて道路に出た。私はずぶ濡れになって凍えていた。車を止めようとしたがむだだった。夜と霧は人を臆病にする、当たり前のことだ。遠ざかるトラックのテールランプに向かって拳を振り上げ、ばかやろう(サロー)と叫んでいると、ずいぶん若返ったような気がした。(ニコラ・ブーヴィエ『ブーヴィエの世界』みすず書房、2007年、138頁〜139頁)
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その頃、私は八歳だった。登別温泉の第一滝本館に行ったときのことを思い出す。まだ混浴の時代だった。浴場は湯気にけぶり、数メートル先さえよく見えなかった。浅い温泉のプールがあった。そこで遊んでいるときだった。白人の男が入ってきた。唐突に「元気ですか? 元気バリバリ?」と変な日本語で声をかけられた。優しい人だった。記憶はあてにならないが、私の体を支えて泳ぎ方を教えてくれたような気がする。その人はニコラ・ブーヴィエだったかもしれない、、。まさか。
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