A sense for surfaces:チャトウィンの写真集


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 WINDING PATHS, pp.162–163



 Yak, Everest National Park, Nepal


ブルース・チャトウィン(Bruce Charles Chatwin, 1940–1989年)の写真集 WINDING PATHS に寄せた序文の中で、イタリアの作家ロベルト・カラッソ(Roberto Calasso , 1941–)は、チャトウィンの文章と写真の特質は「表面に対する感覚(A sense for surfaces)」にあると語った。そしてその「表面」はあらゆる意味の手前にあり、そしてあらゆる意味を越えた何物かをわれわれに語りかける、と(p.11)。

微妙な難しいところ(トポス)だと思う。複雑に折り畳まれたり、襞になったりして、狭い空間でさえ、とてもそのすべてを辿りきることは不可能に思えるところこそ「表面」であり、もっとも留まりにくく、堪え難いのが「表面」だろうから。そこは各自が自分の足で歩くしかない「地の果て」、「荒野」でもあるに違いないから。それに比べたら、各種の意味づけなど高が知れている(あっ!)。

チャトウィンの写真集を手に入れて2年以上たつ。変な言い方だが、長い付き合いだ。正直なところ、最初は軽い写真ばかりだなあ、インパクトのないパッとしない写真ばかりだなあと感じていた。旅に生き、旅に死んだような人生を送った奴が撮る写真とは思えなかった。ちょっとそこまで散歩したついでに撮ったような軽いタッチの写真ばかりのように感じた。だが、最近、チャトウィンの写真が持つ不思議な難しさにハッと気づいた。それは軽すぎる軽さにあるのだと気づいた。意味が一種の重力だとすれば、ぼくらは放っておけばその意味の重さに引っ張られて手垢にまみれたところに落ち着く。チャトウィンはそんな意味の重力に抗して浮び上がるようにして、歩き、写真も撮ったのだろう。意味の空気が限りなく薄い写真。

チャトウィンの写真集の中で私は上のネパールで撮られたヤクの写真が一番好きだ。エヴェレスト山の文字通り空気が薄いところで撮られた写真だ。


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