日本に行く歌、太平洋のソングライン


チャトウィンによる砂漠の足跡の写真(WINDING PATHS, p.23, asin:0224060503


ブルース・チャトウィンCharles Bruce Chatwin, 1940–1989)は1986年の夏、骨髄が冒される奇病をわずらい、悪寒に震えながらも、「そこまでやり遂げれば、思い残すことはない」と死を覚悟して『ソングライン(Songlines)』(asin:4862760481)を完成させた。その後彼は一時的とはいえ奇蹟的に回復し、翌年1987年の6月に本が出るのを見届け、マスコミ、学術界、そして一般読者の反応を冷静に受け止めていた。その時期の「歌」あるいは「音楽」をめぐる運命的な出会いを綴った「ケヴィン・ヴォランズ」(1988年)の前半に、非常に印象的なカナダ先住海洋民の「日本へ行く歌」を含めたいわば「太平洋のソングライン」の話が登場する。後半は西洋音楽とアフリカ音楽の融合を目指した南アフリカ出身の希有な作曲家ケヴィン・ヴォランズKevin Volans, 1949–)との出会いをめぐるが、それについてはエントリーを改めて記したい。


先ずは「太平洋のソングライン」の話。

 人間はしゃべり、歌う生き物である。人は歌い、歌は世界の隅々にこだまする。最初の言葉は歌だった。音楽こそは至高の芸術である。

(中略)

『ソングライン』の読者からたくさんの手紙をもらった。時にはポストに奇蹟のような宝物が届いた。コネチカット州のある女性は、アン・キャメロン著『銅色の女の娘たち』の一部の複写写真を送ってきた。年老いたヌートカ族の女性が、祖先のカヌーによる航海法を語っているくだりだった。
 ヌートカ族、ベラ・クーラ族、ハイダ族、クワキュート族は、厳密には狩猟採集段階にあったが、海には鮭があふれ、森は獲物に富んでいたため、大きな丸太の家を建てて定住し、貴族、労働者、奴隷の階級に分かれていた。
 舵取りの女は語る。
「私たちが海の動きについて学んだことは、すべて歌にとどめてある。何千年もの間、私たちは歌のおかげで行きたいところに行き、つつがなく帰ってきた。晴れた夜には星を道しるべにして、霧の中ではクリン・オットーに流れ込む潮流をたどった……」
 クリン・オットーは、カリフォルニアからアリューシャン列島に向かって流れる海流である。
「中国に行く歌も、日本に行く歌も、大きな島に行く歌も、小さな島に行く歌もあった。舵取りは歌さえ憶えていれば自分の位置がわかった。帰りは歌を逆に歌った……」

  『どうして僕はこんなところに』(asin:4047913243)77頁〜78頁


『ソングライン』の「ノートから」の最後に記された次のようなチャトウィンの言葉を思い出す。

 こんな光景が僕には見える。ソングラインが、大陸や時代の境を越え、世界じゅうに延びている。人が歩いたところにはすべて、歌の道が残される(いまでもときおり、僕たちはその名残をとらえる)。

  『ソングライン』464頁


人が航海したところにはすべて、歌の道がのこされる、とも言えるだろう。そしてアン・キャメロンはその名残をとらえた。



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アン・キャメロン(Anne Cameron, 1938–)はカナダの詩人、作家。ブリティッシュ・コロンビア州のバンクーバー島の東岸の町ナナイモ(Nanaimo)で生まれた。レズビアンLesbian)の彼女は現在パートナーとバンクーバー島の西海岸の町タイス(Tahsis)に住む。島を離れて暮らしたことはほとんどないという。彼女にはファースト・ネーションFirst Nations)と呼ばれるカナダ北西海岸の先住民(Aboriginal peoples in Canada)の神話と文化に触発された作品が多い。