Paul Theroux, el rostro de la felicidad. Por Daniel Mordzinski*1
旅について穿った見方をしていたポール・セルー(Paul Edward Theroux, born April 10, 1941)は、「実験旅行」と称して、ボストン市郊外のメドフォードの家を出て、ボストン南駅から延々と汽車を乗り継いで南北アメリカ大陸を縦断して「地の果て」パタゴニアまで旅をした。その風変わりな旅行記『古きパタゴニアの急行列車』(Old Patagonian Express, 1979, asin:039552105X)は、パタゴニア高原南緯43度のエスケルという小さな駅に、著者が一人淋しく下り立つところで終わる。
パタゴニアと言えば、ブルース・チャトウィンの処女作『パタゴニア』(In Patagonia, 1977)が有名だが、『パタゴニアふたたび』(Patagonia Revisited, 1985)がチャトウィンとセルーの共著で出ている。これはもともと250部の限定出版で、「幻の書」とも言われた小さな本である。
1987年に講談社から出版された邦訳書『古きパタゴニアの急行列車------中米編』(阿川弘之訳)は、「中米編」とあるように、原書の前半を訳出したもので、旅はコスタリカのプンタレナスで終わっている。残念ながら、表題の「古きパタゴニアの急行列車」に乗って移動する場面を含む原書後半の訳書は現在に至るまで出ていない。ただ、1993年に白水社から出版された『パタゴニアふたたび』(池田栄一訳)で、ポール・セルーが「パタゴニア特有のパラドックス」と称して彼独特のパタゴニア体験について直截に語るのを読むことができる。大変興味深い。それについてはエントリーを改めて書きたい。ここでは、ポール・セルーが語った旅についての穿った見方について書いておきたい。それは私にとっては旅が持つ二面性のうちの見落とされがちな一面を率直に語ったものだからである。
以下の引用は『古きパタゴニアの急行列車------中米編』からのものである。
旅とは、消え失せることなりと思っている。たったひとり、地図の上の細い線を辿って、人々に忘れられるところまで。(中略)しかし、世間の旅行記は、これとは反対だ。孤独な旅をしていた奴が、とんだ大物になったつもりで帰って来て、見聞を語り始める。なぜ旅に出たかの説明が、弁解と同居している単純お粗末な物語------。旅の経過を言葉で繰り返すことによって秩序立ててみる動き、とでもいうべきか。旅人になって姿を消したい、その衝動は、誰しも持っているものだが、戻って来た時沈黙を守れる人はめったにいない。(13頁)
旅が家から始まることをみんな信じなくなったわけでもないはずだが、とにかくそれを書いた書物はめったに見当たらない。(14頁)
ほんとうの旅とは、そんなものではあるまい。朝、目ざめた瞬間から、あなたの心は異国の土地へ向かって歩み始めているはずで、その一歩々々があなたを目的地へ近づけて行くのである。(14頁)
はっきり言って、私が興味をもつのは、どこかへ着くことではない。そこまでの道程、道中のもろもろ。朝目がさめて、いつも見馴れた世界から少しばかり変った世界へ入って行く。それから段々にもっと変った世界へ、やがて人情風俗全く異る異国へ、そうしてついに世界の辺境まで辿り着く。その道程にこそ興味がある。大切なのは上陸することではなく、航海そのもの------。(17頁)
かねて人さまの書いた旅行記にあきたらず、かくの如く不平満々だった私は、一体何が欲求不満の原因か確かめるため、自分自身の実験旅行に出ることにした。マサチューセッツ州メドフォード(ボストン市郊外、セルーの生地)からアメリカ大陸を南へ南へ、汽車の走っている限り旅をして、ありきたりの旅行記が始まるところでこの本を終わらせるつもりなのである。(18頁)
こんな旅行観を持つポール・セルーはある冬の朝に家を出て、地下鉄でボストン南駅まで行き、そこからレイク・ショー特急(The Lake Shore Limited)に乗り込み、先ずはシカゴに向かった。見馴れた町の風景が車窓を過ぎて行くのを眺めながら、次のように記すセルーの旅の感受性は信頼できる。
車窓を過ぎる一つ一つの風物が、大切なものに思えて仕方がない。まるで、生まれてはじめて、しかも永久に故郷を離れるような気分であった。
兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川、うしろ髪ひかれる思いであの橋、あの教会、あの野原を眺めている。家を出ることについては別段何とも感じなかったのに、子供のころから馴染みの場所が次々車窓にあらわれては去り、過去の一部となって行くのを見ていると、鈍い悲しみが湧いて来る。時間というものを視覚でとらえているような気がする。風景の動きにつれて「時間」が推移する。列車の進行にともない、家々もあとへあとへと飛んで行くが、私の生涯の刻々があとへあとへと消えて行くようで、快いはずのスピードすら、何となくもの悲しい。(20頁)
こういう箇所を読むと、明らかに、ポール・セルーは旅というものは人生の一部を成すと同時に人生全体の意味を投影するものでもあることを知っていながら、人生は旅である、などとナイーブに書くことは避けていることが分かる。したがって、「旅とは、消え失せることなりと思っている」、あるいは、「旅人になって姿を消したい、その衝動は、誰しも持っている」と書くに留める。人はみないずれ死ぬように、とは書かない。そしてセルーの旅行記は、たしかに「ありきたりな旅行記」ではないが、しかし、彼とて結局は、旅から戻って沈黙を守ることはできなかったのは、文字通りには旅を栖(すみか)とすることができなかったからだろう。その点では彼は非常に正直だと思う。
参照
*1:ポール・セルー、幸福の顔。ダニエル・モルディンスキー撮影。