淡島神社、海子


ドキュメンタリー番組「映像作家ジョナス・メカス・OKINAWA・TOKYO思索紀行」(1996年)の後半を学生たちと一緒に見る。前半は沖縄紀行だった。後半は東京紀行である。東京に戻ったメカスは下北沢で吉増剛造と落ち合う。二人は下北沢の風土の記憶の古層を歩く。吉増剛造はメカスを女の守り神を祀る淡島神社に案内した。日本神話の第一ページにまで遡るようにしてメカスと一緒に歩いたわけだ。記憶の賦活、、。森崎和江さんの歩行にも接近する。淡島の淡は泡であり、稗粟の粟であり、女の人の肌の粟立ち、粒立ちでもあると吉増剛造は言う。それを神体化したものが淡島神社には祀られていると。そこでメカスは400年に渡ってお宮参りする女たちを見守って来たイチョウの大樹の肌に手で何度も触れ口づけする。そして紅梅の小さな蕾に気づく。下北沢は女の人の町であることにメカスはすぐに気づいたことに驚いたと吉増剛造は言う。

生きることの内に芽生える<詩>は、男たちの国盗り合戦の歴史のページの上に、そもそも「国を産む」女たちによって「あぶりだし」のように記憶されているのかもしれない。




 胡さんが書いてくれた中国の詩人海子(1964年3月26日〜1989年3月26日)の詩の英訳の一部。


ポエジーをテーマにした授業の中で、好きな詩人は? という私の質問に、上海からの留学生、胡さんと范さんは、海人(ハイツー)と答えてくれた。若くして自殺した詩人だ。好きな詩の英訳の一部を紹介してくれた。

Facing the sea
With the Spring blooms
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