自我の引き算


吉田喜重


1993年12月13日〜16日にかけて、4夜連続でNHK教育テレビで放映された「ETV特集 吉田喜重が語る小津安二郎の映画世界」の第2回を学生たちと一緒に観る。全4回の各テーマは次の通りである。

第1回 サイレントからトーキーへ 映画との出会い 反復とずれ
第2回『戦中戦後の軌跡/映画が言葉を発するとき』
第3回『『晩春』と『東京物語』/限りなく開かれた映像』
第4回『その短すぎた晩年/無秩序な世界につつまれて』


吉田喜重小津安二郎の戦争体験と彼の映画との一筋縄ではいかない関係を、あるがままの無秩序な現実とありえない秩序を作り上げる映画との関係において多面的に語る。それにしても、雄弁な吉田喜重という映画監督は何者なのか。学生たちから当然の疑問の声が上がった。『鏡の女たち』を見れば分かると思うけど、吉増剛造が指摘したように、「最も深く、女の根源的なところを描く映画監督」だよ。



ユリイカ2003年4月臨時増刊号 総特集=吉田喜重 


かつて吉増剛造は、吉田喜重の映画に寄せて、狭い意味での映画体験を越えた人生の道に直結する「映画の道」を展望しつつ、感知され難い「記憶の窪み」のような場処に「自我の引き算」によって出会う次第について次のように述べた。

…それは記憶の変なところに眠っている。それと出会うのにはとても難しい工夫が必要で、こうして喋ったり見返したりするということは、そのためのオペレーションをしているのだと思います。
 吉田監督も四十年に渡って引き算に引き算を重ねながら、主導権は他人に譲り渡しながらということもおそらくあったのかもしれませんが、こうやって作品の道を開いてこられた。七〇年代頃からでしょうか、現代詩でも或る部分でおそらく同じような道のりがあって、映画ではジョナス・メカスさんのような日記性というか、私の場合にも自我を、かなり激しいものをどんどん引き算していって……、忘我というか、他人の手に渡せないものを譲り渡していきました。そうしていくうちに随分と込み入った言葉と思考の積み上げを経て、そう“見せ消チ”も映像的な手管のひとつだったのかもしれません。ルビの下に何かを書いたり、そうした紙の地をさすって確かめていくようなことをするようになっていて、細かい越境をしていったのですね。…読むのだって、本当は何度も何度も読まなければならないし、書くことだって、それ以上に何度も何度も同じ時間を重ねて、どこかでそれが当たるまで素描しなければならないのです。最初に戻りますが、今回『鏡の女たち』を見て、とても遠いところにあった「映画の道」が、五十以上、おそらく百年かけて、同時代性の心に語りかけつつ、ここが僕は吉田喜重監督にもっとも親愛の情を覚えるところですが、記憶の芯を彫りつづけているのね。(吉増剛造「蜻蛉が待つ時間、記憶の窪み、そして映画の道」より、『ユリイカ』2003年4月臨時増刊号、230頁)


ちょっと寄り道してしまいましたが、小津安二郎においてもまた「自我の引き算」という視点は重要だと思います。普通は無闇に自我の足し算をしつづけて手に負えなくなってしまいがちなところで、むしろ他人の手には渡せないと思い込んでいるものをどんどん譲り渡していくことで見えてくる地平の重要性ですね。