大連のプラタナス







人民路(Lenmin Lue)のプラタナス並木











明泽街(Ming Ze Jie)の風景





大連の港


アカシアで有名な大連だが、間近に見ることはできなかった。旅順口へ向かう高速道路を走るタクシーの窓越しに白い花をつけたアカシアの林を遠望することができただけだった。そんな林の隙間に養蜂の巣箱が並び、その傍らで休む人たちを見かけた。アカシアの蜂蜜か、、。大連ではアカシアよりも新市街地のプラタナス並木が印象的だった。枝が無闇に剪定されていない姿がよかった。


どこを歩いていたのだろう。なぜか申し訳ない気持ちでちょっと小さくなって歩いていた。最初は首からぶら下げていた古いカメラを左掌に隠すように持った。思っていたほど写真は撮れなかった。何気なく盗み見るようにしてそこで暮らす人たちの話し方や歩き方や目つきや表情や身振りの中に流れる情感のようなものに自分の感覚を合わせようとしていた。意外とすーっと入っていける時があった。でも、たいていは強く跳ね返された。所詮、ごく短期間の通過者にすぎない。旅ともいえない慌ただしい移動にすぎなかった。書かれたものから得た断片的な情報をもとに想像していた風土や景観の中に実際に入っていった時には、物珍しさよりも、懐かしさの方を強く感じた。ただし、複雑な懐かしさだった。同じような顔つきや体つきの人たちの間に馴染むように紛れ込んでいる錯覚に陥りそうになるが、一見似ていることは、実は大きな違いを見損なう危険に付きまとわれている。言葉が通じる通じないの問題ではない。同じような外見の下に全く異質な生き物が隠れているような感覚を抱いていた。