スイレン(睡蓮, Water lily, Nymphaea colorata)
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日本海を左手に望来(もうらい)の丘を越えようとしたとき、頭上を小さな野鳥の群れが旋回しているのを見た。初めて見る鳥だった。運転中で写真は撮れなかったが、全身は白っぽく胸のあたりは赤く見えた。そのとき、昨夜久しぶりに読んだ清岡卓行の「アカシヤの大連」に登場するアカエリヒレアシシギに違いないと直観した。
たとえばまた、こんなこともあった。
彼はプロ・ベースボールの試合を見物するのが好きで、ときどき都心にあるそのスタジアムまで出かけて行くが、六年ほど前の秋のある夜、試合中に、グラウンドの上を低く旋回する渡り鳥、アカエリヒレアシシギの一群を間近に眺めたことがあった。
アカエリヒレアシシギは、雀に気がきいたほどの可憐な大きさの鳥である。翼には白い帯のような模様がついている。その四十羽ほどが、まるで観客へのサービスのために、ダイヤモンドの周りをぐるぐると回って、瀟酒な夜間飛行の輪を描いて見せてくれているようであった。
しかし、その中の不運な数羽は、千何百ルックスの眩しい夜間照明の電球のいくつかをまともに見て、半ば盲いてしまったのか、高く張られた針金のネットに激突して、そこからアンツーカーに落下して死んでしまった。(中略)灰色の頭に白い頬。頸の骨は、ネットにぶつかって折れているのだろう。海の上でも暮らすためにヒレをつけた足。胸のあたりの、涎掛けのようにひろがっている茶色っぽい羽毛。それは、たぶん初夏のシベリアで、愛の戯れのために赤味がかった飾りとなっていた見事なエリである。(76頁)
実際にはこんな鳥である。
アカエリヒレアシシギ(赤襟鰭足鴫, Red-necked phalarope, Phalaropus lobatus)
また高野真二著『フィールドガイド日本の野鳥』(asin:4931150411)には、アカエリヒレアシシギの習性について次のように書かれている。
旅鳥として海洋上に多数渡来する。時に岸近くの海上、水田、川等に飛来する。また野球のナイターの光に惑わされて飛来する例がよくある。(166頁)
清岡卓行のアカエリヒレアシシギに関する記述は詳しく正確であることが分かる。
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国道231号線の旧道、送毛から毘砂別(びしゃべつ)に抜ける山道、幻の廃道「増毛(ましけ)山道」の一部(?)、「送毛山道」を行く。「送毛峠」付近から日本海を見下ろす。
増毛山道とは、北海道の日本海に沿って西海岸の浜益郡幌村と増毛郡別苅村を結ぶ 、全長約27.8キロのすでに廃道となってしまった幻の山道である。しかし当初この山道の全長は現在の浜益郡と厚田郡の境である濃昼(ゴキビル)から増毛郡増毛町までの14里1丁(約54・7キロ)で、我が家の先祖8代目伊達林右衛門が安政4年(1857年)私費1500両余を投じ開削した。
なお、「送毛(おくりけ)」という地名については、山田秀三『北海道の地名』(asin:4883231143)には次のように書かれている。
送毛 おくりけ
浜益村南部の地名。急流の小川が海に注いでいる。西蝦夷日誌は「ヲクリケ。名義、ヲクリキナといへる草有るより号ると。此所少しの湿地あり。ヲクリキナは恐らくは谷地草かと思はる」と書き、永田地名解は「ウクルキナ。一名トーキナ。和名サジオモダカ。*1其白茎を食ふ。和人オクリケと云ふは訛なり」と書いた。
知里博士植物篇では「タチギボォシ ukur-kina、またukuri-kina」と書かれ、葉柄を細かく刻んで飯や粥に炊きこんだりして食べたという。
石狩と浜益を繋ぐ国道231号線は、この辺は海岸崖地帯を通れないので、少し内陸を通り、送毛山道という。海岸の送毛市街には国道から離れて川を下る。(117頁)
送毛峠付近の樹齢八百年を越えるミズナラ(水楢, Japanese oak, Quercus crispula)。通称千本ナラ
美唄(びばい)市の宮島沼。マガンの日本最大の集結地。ここに春と秋に6万羽を越えるマガンが飛来する様子を想像する。
モンキチョウ(紋黄蝶, Eastern Pale Clouded Yellow, Colias erate)。宮島沼にて。
ゴボウ(牛蒡, Edible burdock, Arctium lappa)。宮島沼にて。
*1:「アイヌがウクリキナというのは、タチギボウシのことで、サジオモダカではない。さじおもだかは、トーキナであり、これと混同している」という指摘がある(http://www.azaq-net.com:8080/saijyo2/19.html)。