室蘭街道、登別海岸通



白老郡白老町大町の海岸、室蘭街道(国道36号)

白老 しらおい

 町名、川名。永田地名解は「シララ・オ・オイ。潮汐多き処。此川潮多く上るを以て名く。一説シラウ・オ・イ。虻・多き・処。虻の多く出る他より早し。故に名く」と書いた。秦地名考や上原地名考はこの前説と同様にシラリヲイで説いたが、これは間違いらしい(永田氏やバチラー博士の時代まではshirarには、岩、潮の二つの語義があるとされて来たが、知里博士は潮の意はないとした)。
 松浦武四郎蝦夷日誌は「シラウは虻の事也。此地に多きが故号し也」と後説と同じことを書いた。白老に初めて観光施設を作った宮本エカシマトク老(故)に聞いたら虻が多いからじゃよと語った。この後説の方を採りたい。

  山田秀三『北海道の地名』北海道新聞社、1984年、383頁




登別市登別港町の海岸、登別海岸通(道道701号、登別港線)

登別 のぼりべつ

 川名、町名。登別温泉で名高くなったこの名の原形はヌプル・ペッ(nupur-pet 水の色の濃い・川)であった。従来このヌプルをただ濁っていると訳され、バチラー博士はmuddyと書いてきたのだが、少し違っていたようだ。ヌプルは元来「巫力のある」意。それでどぎつい感じが出、水の場合は色のついたのをいった。幕末の蝦夷地名解では「ヌプルとは強いと申す事」と書かれ、少し遅れたところの野作東部日記では「水色の濃しと云ふ夷語なり」と述べられ、最近では知里博士も同じ説を書かれた。今では登別川の下流で見ると、殆ど目立たないが、幕末の諸紀行では、ここを通って「川水白く流れ」、「川水黄色にして甚だ濁る」と書かれている。当時は温泉水がひどく流れていて目立っていたのであろう。

  山田秀三『北海道の地名』387頁




登別市富浦町、蘭法華(らんぽっけ)の海岸、登別海岸通(道道701号、登別港線)

富浦 とみうら(蘭法華 らんぼっけ)

 登別川の川下から、すぐ西側のリ・フルカ(高い・丘)と呼ばれた丘陵を越えた処が富浦である。リフルカの富浦側は崖のような斜面でそこに電光形の急坂がついて、幕末の記録では難所とされていた(今でも鉄道のトンネルのすぐ山側にその道が残っている)。それでそこをランポッケ(ran-pok-ke 坂・の下・の処)、あるいは終わりの処を省いてランポクと呼ばれていた。日本地名流にいえば坂本である。それに漢字を当てて蘭法華という地名になっていたが、近年富浦と改名された。富み栄えるようにとの願望からの名であろう。

  山田秀三『北海道の地名』北海道新聞社、1984年、393頁