「ギンナンがもう落ちている」と中野さんは言った


イチョウ(銀杏, Ginkgo, Ginkgo biloba L.


サフラン公園入口そばの東屋に中野さんがポツンと一人で座っていた。今朝は簡易枕も持参せず、横になってはいなかった。隣に座って少し話した。ぶり返した蒸し暑さのせいだろうか、顔に疲労の色が濃い。言葉も少ない。中野さんは煙草を吸わない。一度も吸ったことはないという。公園にはめずらしく他に人はいない。他愛もないことを一方的に話した。中野さんは頷きながら黙って聞いていた。しばらくの沈黙の後、中野さんはポツリと言った。「ギンナンがもう落ちている」。ハッとした。中野さんの視界が突然私の視界に入り込み、中野さんの心模様が感じられた気がした。「今年は異常だな」。実がなっていることには気づいていたが、落ちていることには気づかなかった。公園の奥まったところにある東屋のそばの樹だという。行ってみた。数本あるうちの一本のイチョウの樹に実がなっていたが、落ちた実は確認できなかった。その東屋には苅谷さんがいた。苅谷さんはギンナンが熟す前に落ちていることを知っていた。(つづく)