北海道浦河町のアジール


JR浦河駅


先日、襟裳岬を訪ねた際に、浦河町を通り過ぎた。浦河駅のひなびた駅舎が視界に入ってきたとき、ここが現代のアジールと呼ぶにふさわしい町かという思いが脳裏を掠めた。


自由こそ治療だ―イタリア精神病院解体のレポート

自由こそ治療だ―イタリア精神病院解体のレポート


「人間がすべて悩めるものとしてあるなら、そして病者がそのある現れとするならば、病者が社会の中で自己の悩みを解決していくのが自然ではないか。そのために病者を含めた社会が互いに信頼の輪をつくる以外に方法はないのではないか……」(ジル・シュミット『自由こそ治療だ イタリア精神病院解体のレポート』)イタリアからは精神病院解体のレポートが届く一方、精神病院大国と揶揄されることもある日本ではあいかわらず三十数万人もの人々が精神病院に入院しているといわれる。その九割は私立の民間の病院である。70年代初めに『ルポ・精神病棟』によって日本の精神科病棟のおぞましい実態を暴いた大熊一夫氏は日本の精神保健行政の立ち後れを指摘し、精神保健最先進国イタリアの取り組みを例に挙げ、改革の急務なことを訴え続けている。


ルポ・精神病棟 (朝日文庫 お 2-1)

ルポ・精神病棟 (朝日文庫 お 2-1)

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本


そんな日本でも北海道帯広の地域精神保健サービス、北海道浦河町の「べてるの家」、京都の「ACT-K」、ドキュメンタリー映画『精神』の主な舞台となった岡山の「こらーる岡山」など、個別の革新的な取り組みがあることが少しずつ知られるようになってきた。



治りませんように――べてるの家のいま

治りませんように――べてるの家のいま


斉藤道雄氏は浦河町に足かけ十年通いつづけたという。本書は、単に「べてるの家のいま」のルポではない。記者としての「取材」という枠を越えて、一人の悩める人間として前代未聞の「治さない」「治らない」などと標語化されるいわば「反治療」の過程の渦中に入って行って、治療を当然とする高飛車な常識や敷居の高い社会の側から、病いを当然とする低い場所、そして死をあっけらかんとしかも毅然と共有する最も低い場所に降りて行き、それまでの自分が深いところから変ってゆく体験の記録でもあるところが胸を打つ。社会から放り出された者を社会に戻すために治療することには深刻なジレンマがつきまとう。根本的には社会が変らなければ精神病者も、自殺者も減らないだろう。したがって、社会の側に立った一方的な治療の観念を壊すしかない。治療もまたひとつのあくまで相互的な人間関係でしかありえないという新たな常識の中で、病んだ社会の方を徐々に治してやること。そのためにまずは「治らなくても」ちゃんと生きていける条件、新しい人間関係、新しい社会のひな形を現実に作り出すこと。「べてるの家」ではそんな驚くべきことが毎日それこそ粛々と行われている。


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