母と子の行方


明るい部屋―写真についての覚書


『明るい部屋』で、病気(不詳)で衰弱していく「母」にただ寄り添うように暮らしていた「私」は、最後には「母」を自分の「小さな娘」として実感していたとロラン・バルトは書いた。さらに、実際には子どもを作らなかったロラン・バルトは、「私」は「母」の病気そのものを通して「母」を「子ども」として生み出した、とまで書いた。ある種の極限状況においては、母子関係は逆転しうることは、数多の映画やドラマで描かれてきたありふれた話かもしれない。ただ、そのように逆転しうる関係を支えるものは一体何なのか。ロラン・バルトはある種の「愛」だと断言した。



雑草と時計と廃墟


アルツハイマー型の認知症「母」と暮らす「ぼく」の日々が極めて具体的に物語られた『雑草と時計と廃墟』では、話はもっと複雑になる。「母」は小さな娘どころか大きな赤ん坊に近づいていく。「母」を「娘」として実感する、あるいは「母」を「子ども」として生み出した、などという「愛」の時間は「ぼく」から奪われているように見える。「ぼく」はどこへ向かうのか。