大型書店のコーチャンフォー(ミュンヘン大橋店)には、目当ての『雑草と時計と廃墟』(asin:4783733406)はなかった。
写真集の棚をゆっくりと見て歩いた。必要以上に豪華に思える造りの写真集が多いのに嫌気がさしてきたとき、等身大の造りの小さな写真集を見つけてホッとした。『母(オモニ)たちの済州島(チェジュド)』(東方出版、2012年、asin:4862491928)。大型の写真集の間で肩身が狭そうだった。
写真家は1948年、済州島生まれのカン・マンボ(姜萬保)さん。三十年余にわたって済州島の農村と漁村を転々としながら、「やせた石島の済州島の地を肌で感じ、暮らしを支えてきた多くの母や父の姿をカメラに収めてきた」という。知らなかった。
『母たちの済州島』以前には、『南海岸のスンビソリ 済州海女』(オディコム、2008年)、『東海岸の済州海女』(オディコム、2009年)、『西海岸の済州海女』(Jejucom、2010年)の三冊を上梓している。
『母たちの済州島』には、1973年から2002年までの間に撮られたコントラストの強い白黒写真が89枚収められている。カバーに使われた二枚の写真を入れると全部で91枚だ。その一枚一枚には、縁もゆかりもないはずの私にとっても妙に懐かしい見知らぬ故郷のような風景や人の姿が写っていた。いつまでも見ていたい時の落ち葉のような写真ばかりだった。
済州島の歴史や海女の歴史について集中的に調べて書いたことがあった。それがなければ、この写真集を手に取ってみることはなかったはずだとは思わない。
迷わず買った『母たちの済州島』を小さな肩掛け鞄に入れて、去年の秋に見かけて以来気になっていた、西屯田通り商店街の近くにある、庭に神樹が聳える木造の古民家を改装した喫茶店に行った。神樹はスカスカでまだ若葉も生えていない。
曇り空の弱い光が、南側の窓を通して昔の小学校の机のような古くて低い木のテーブルの上に置いた写真集の上に優しく降り注いでいた。
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