参加者の皆さん、こんにちは。
今日は前半、メカスさんが96年に来日した際の対談「詩、そして映像の越境」を皆さんと一緒に読む事ができて、そして各人の読み方の違いを突き合わせる事ができて大変よかったと思います。前回観た『沖縄・東京思索紀行』の映像も頻繁に蘇りましたね。メカスさんの(ウォーホルにも通じる、そして荒木さんにも)思考と視線の本質にある”洗練”と”非常な繊細”に多面的に触れることができたと思います。
後半観た『花に事あり』は、短いドキュメンタリーでしたが、滋味豊かな内容でした。墓に供えられた花から始まり、歓楽街の隙間のような場所でひっそりと咲く花、そして最後はスナックのホステス(花)さんたちの間で戯れながらも、ちゃんとトイレの小さな花瓶に生けられた花を撮る荒木さんの生き生きとした姿、でもどこか悲しげな姿が印象的でした。花を写真に撮ることの深い意味、つまり死に向かう時をどう生きるかが暗黙のテーマでしたが、89年にエイズで死亡したアメリカの写真家メイプルソープの一連の花の写真が着々と直線的に絶対的な向こう側としての死に向かっていく写真家の静謐な、クールな心を映し出しているとすれば、荒木さんの写真はそれとは対照的に、生と死の間を行ったり来たりして、時には死の側から茶目っ気たっぷりに写真をパチりと撮ってさえいるかのような、よい意味で猥雑な、ホットな心を映し出しているように思います。前半読んだテキストにあった「たぎつ瀬=たぎつ心」に通じると考えてよいと思います。いつも何かを超え出て行こうとする心の激しい動き、です。