前回は「言語哲学入門」という講義に入門するための予備的なお話をしました。「言語哲学入門の入門」でした。皆さんに書いてもらった「思索記録」を大変興味深く読みました。中にはこれは次回の講義で話題として取り上げようと思うほど気合いの入った文章もありましたよ。
さて今回からいよいよ文字通り「言語哲学入門」が始まります。「言語哲学」に入門します。今日はその初回ということになるんですが、いきなり手綱をぐいっと引っ張って、教科書に指定してあるウィトゲンシュタイン著『論理哲学論考』(野矢茂樹訳、岩波文庫)という本の「核心」だと私が確信している思想を紹介して、皆さんの思索に火をつけたいと計画しています。
- 作者: ウィトゲンシュタイン,野矢茂樹
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2003/08/20
- メディア: 文庫
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言い(書き)忘れるところでしたが、「言語哲学入門」でどうして『論理哲学論考』が教科書なのか、あるいは、前回のエントリーに書かれているように、ワクワク生きるために必要ないわば世界観を身につけるためには『論理哲学論考』は最良のパートナーであると言えるのはなぜなのか、という理由、根拠に疑問をもった人もいるでしょうね。いませんか?私の文章には明らかに飛躍がありますね。春学期に「論理学入門」を受講した人なら気づいたことと思います(そう願います)。私はどきどきわざと飛躍しますから、気づいたら、突っ込むようにしてください。「論理力」の稽古にもなりますから。
今回は、そういうわけで、「なぜ『論理哲学論考』なの?」という皆さんの疑問に答えるために、いきなり『論理哲学論考』の「核心」に触れてもらうわけなのです。そこで、今回の主題、テーマは以下の通りです。
生きているかぎり、そこにすべてがある。それがすべてである。それに気づくことから人生は始まる。
このちょっと複合的な命題を『論理哲学論考』に照らし合わせて、噛み砕き、敷衍する、いわば何度も変奏することになります。それでは、後は教室1403で。