アルフォンソ・リンギス著『何も共有しない者たちの共同体』

受講生の皆さん、こんばんは。

今日の授業でやったことは、
1)デレク・ジャーマン監督の映画『ヴィトゲンシュタイン』の冒頭部分を鑑賞し、『論理哲学論考』を著したウィトゲンシュタインの生まれ育った環境と、彼が「哲学」や「論理学」へ向かった動機の一端、そして彼の人生に対する基本的な姿勢に触れてもらいました。

(注意!以下はじっくり、ゆっくり読んでください。分からない部分があればチェックして、必ず質問を。)

2)アルフォンソ・リンギス著『何も共有しない者たちの共同体』から3つの議論(文章)を抜粋した資料の解説を行いました。最初の議論に関しては、「論理的」に、すなわち「接続表現」に注意しながら、何が「結論」(最も重要な主張)であったかを再確認しておいてください。2番目の議論は最初の議論の結論を言語の観点から「敷衍(ふえん)」するものでしたが、語る内容ではなく、語ること自体が重要になる極限状況(死に行く人を看取る場面)が真のコミュニケーションが始まる地点、すなわち人間にとっての最も根源的な絆の在処(ありか)を示すのだという主張にいたる流れを再確認しておいてください。3番目の議論は、最初の議論の結論を導く「根拠」の一つとして挙げられる貴重な体験が時間の流れに沿って記述されたものでしたが、その議論の流れは論理的にもっとも弱い「付加」の連鎖によっていることを再確認しておいてください。

3)メインの資料(02なぜ?)を使って、日常の対話のなかでこそ、論理は生き生きと活躍することを説明した後、サブ資料(02議論の流れをつかむ)を使って、論理の直接的な表現である8種類の接続表現の働き方を解説しました。その中でも論理的な流れの中核となる「論証」、議論の大きな骨格を形作るのに用いられることが多い「譲歩」と「対比」は要チェックです。

「02議論の流れをつかむ」を参考にしながら、もう一度リンギスの文章を論理的に読解してみてください。今日配布した今福龍太著『クレオール主義』(ちくま文庫版)の「あとがき」に関しては次回詳しく解説しますが、できれば論理的読解にチャレンジしてみてください。

前回から持ち越している「世界」、「事実」、「可能性」の関係に関しては、『論理哲学論考』の内容と深く関わるため、改めて時間をとって解説します。関心のある人はまず『論理哲学論考』の訳者による「あとがき」を読んで粗筋をつかんでから、野矢茂樹著『「論理哲学論考」を読む』(ちくま学芸文庫)の1章と2章を読むといいでしょう。

では、よい連休を。