言語哲学入門2007 第1回 はじめに

2007年度秋学期「言語哲学入門」受講生のみなさん、こんにちは。今日から講義が始まります。楽しみですね。実は、昨年度の講義の様子や概要をこのブログの過去のエントリーで知ることができます。日記検索に「言語哲学入門」と入力すれば、関連エントリーの一覧が日付順に表示されますから、是非読んでみてください。自分で言うのもなんですが、かなり面白いことが色々と書いてありますから。9月分は以下の三つです。

とはいえ、昨年は昨年、今年は昨年とは違います。昨年を踏まえた上で今年の流れ、新たな脈絡、新しい視点が登場します。でなければ、一年間、生きていなかった、成長しなかったということになりますものね。今から振り返ると、一年前の私に見えていたものと見えていなかったものがかなりはっきりと分かります。ところが、実は逆に、一年前には見えていたのに、現在は見失っていることもあります。やばい、やばい。でも、こうして、ブログに限らず自分の考えや経験をアクセスしやすい形で記録しておくと、それにも早く気づき、とにかく全体的に積み重ねと応用が利く、つまり成長を加速させることができますから、みなさんにも自分なりの記録法を工夫してみることを勧めます。

この講義の教科書に指定してあるウィトゲンシュタイン著、野矢茂樹訳『論理哲学論考』という本にしても、読者のみならず、訳者にとっても、広い意味では「記録」であるわけです。ただし、他人の記録はそのままでは役に立ちません。自分の体験や思索のアクセスしやすい記録としていわば書き換えなければならない。それが「読む」ことのひとつの意義だと思います。そのあたりの意識や自覚を促しながら、最も一般的な記録手段でもある言葉、言語について、思考、経験、世界、等々との関係から、さらにはそもそも生きている、生きるという観点からも色々とお話しながら、究極的には「よりよく生きる」とはどういうことかという誰にとっても他人事ではないはずの問題の答えを皆さんと探りたいと思っています。『論理哲学論考』はそのためのよきパートナーです。

そういうわけで、今日の初回の講義では、頭のウォーミングアップを兼ねて、「ワクワクしながら生きるにはどうしたらいいか」という大きな問題について、「偶然と必然」という中くらいの観点を下敷きにして、思考、言語、経験、記憶等の個々の観点をつなげるようなまとまったお話をして、皆さんにも意見等を出してもらって、少し議論ができればいいなと思っています。そうすることで『論理哲学論考』の入口に案内することも狙っています。よろしく。