小川国夫と「器」

この数ヶ月間机の上に乱雑に積み上げていた新聞の切り抜きを整理していて、久しぶりに「凄い言葉」に巡り会いました。眼に留まって切り抜いた時にはその凄さをちゃんと認識していなかったのです。場所は7月3日付け朝日新聞夕刊の文化欄の隅っこの「こと場」という小さなコラムです。それは「日本の詩祭2006」で作家小川国夫さん(78歳)が行った講演「地中海から」を紹介する短い文章です。講演の本題は投身自殺した古代ギリシアのエンペドクレスが藤村操や芥川龍之介に与えた影響についてだったそうですが、その後の自身の近況に触れた話が「凄い」のです。コラムニストは「枯れた話術」という視点から紹介しているのですが、「枯れた」どころか、こんなに瑞々しい言葉を私は久しく聞いたことがありませんでした。小川さん曰く、
「やせたので、見舞いの人に『鶏ガラだろ』と聞いたら『まるでなきがらです』と言われた。以来、なきがら文学論なるものを考えている。肉体などどうでもいい。自分などなくなってもいい。ただ、文学が生きて働く、かすかな器に変身できたらと。エンペドクレス風に言えば『虹を見なさい。あの壮大で実体のない虹を』ということかな」
どうですか。凄いでしょう。私には「肉体などどうでもいい。自分などなくなってもいい。ただ〜が生きて働く、かすかな『器』に変身できたら」の「〜」に迷いなく入れられるものがあるだろうか、と思わず自問してしまいました。そしてたしかに実体はないかもしれない「虹」が湛える実在感への小川さんの鋭い感受性に震撼させられました。世界の実在に対する感受性そのものと化した器のイメージが浮かびますよね。大学生の頃読んだ小川さんの処女短編集『アポロンの島』をなつかしく連想しました。
小川国夫(著)『アポロンの島』(講談社文芸文庫
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