現実


ここ数年毎冬大雪に見舞われる札幌、少なくとも私の住む界隈では、このような殺伐とした科白の立て札が目につくようになって、見る度に私は悲しい気持ちになる。たしかに、こんな口調の科白を書きたくなるようなマナーを欠いた雪捨てや雪寄せが日常化してしまったという背景があるのだが、結局はいたちごっこが続く。そうなってしまったもっと深い背景を言い出すと、日本人は、日本は、という話にまでなって、絶望的にもなる。ペットの糞をちゃんと処理しない大人たちや、自宅の前を必要以上にきれいに除雪し、その大量の雪を公共の道路や公園や余所の土地に無断で捨てる大人たちに業を煮やした大人たちとの間で冷たい戦争が年中続いていて、そんな険悪な空気の中で育つ子供たちの心も荒んでいかないわけがないと思ったりもする。しかし、そのような現実から被写体として切り取られた立て札自体はどこか滑稽な、ユーモラスな感じがする。

残った骨組みが、フレームのように感じられた。

我が家の雪かき七つ道具ならぬ五つ道具。先端が見えないのは「鶴嘴(ツルハシ)」。一旦解けた雪が凍って広範囲に厚い氷の層を作り危険な場合や通行に支障がある場合には、ツルハシで「えい、やー」と細かく割ってから捨てる。