平等な自然

宮本常一は、肺結核を患いわずか九ヶ月間しか勤めることのできなかった最初の小学校の教員時代(1929年、昭和4年、22歳当時)を振り返ってこう書いた。

 専攻科*1を出ると泉南郡の田尻小学校へ勤めることになった。そこには教員住宅があってそこへはいることになり、自炊生活をはじめた。この家へは大ぜいの友だちが来、また子供たちが毎晩のように押しかけてきた。日曜日には子供たちと村を中心にして10キロくらいの範囲を歩き回った。「小さいときに美しい思い出をたくさんつくっておくことだ。それが生きる力になる。学校を出てどこかへ勤めるようになると、もうこんなに歩いたりあそんだりできなくなる。いそがしく働いて一いき入れるとき、ふっと、青い空や夕日のあたった山が心にうかんでくると、それが元気を出させるもとになる」子供たちによくそんなふうに話した。(『民俗学の旅』asin:4061591045 75頁〜76頁)

この一節、特に若き宮本先生が生徒たちによく話したという内容がなぜかずっと心にひっかかっていた。

まるで古き良き時代の先生と生徒たちの心暖まる奇蹟的な関係を描いた映画の美しいワンシーンのようだ。宮本先生の科白だけを現代に持ってきても、それが生かされる環境はもう日本のどこにも残ってはいないだろう。この一節に惹かれるとしても、それはノスタルジーにすぎない。そう思いかけていた。

ところが、しばらくしてその科白そのものには時代がどう移り変わり社会がどう劣化しようとも通用する、人生にとって大切な視点と意志が「青い空や夕日のあたった山」という言葉によってさりげなく挿入されているような気がしてきた。誰にとっても平等に与えられるもの、いわば「平等な自然」を見る視点。そしてそれを決して忘れまいとする意志。

宮本先生は生徒たちに大人になってどんな人生を歩むことになっても、今こうやって皆で平等に受け取っている幸せの感覚を決して忘れるなよと伝えたかったのかもしれない。

*1:天王寺師範学校専攻科(地理学)