タグとはリンクのラベルである:美崎薫氏のリンク論とClay Shirkyのタグ論

現実世界での対象の名前に相当するインターネット上のWeb世界での対象の名前はURLである。URL間のつながりがリンクである。リンクの整理を専門家の分類(Taxonomy)にまかせるか、不特定多数の素人の分類(Folksonomy)にまかせるか、をめぐる米国で活発な議論のいくつかのポイントを整理している最中に、美崎薫さんが昨日のコメント欄にリンクとタグの関係について貴重な意見を寄せてくれたおかげで、分かったつもりになっていたリンクとタグ、そして両者の関係について改めて考えることができて、どうやらちゃんと理解できた。

実は2006-12-16 「フォークソノミー論争メモ1」http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20061216/1166288391で最後に触れたClay Shirkyさんの2005年の論文「Ontology is Overrated: Categories, Links, and Tags」http://shirky.com/writings/ontology_overrated.htmlの中でも、タイトルから推察できるように、従来の分類が依拠するカテゴリー、リンクとタグによる新たな分類の特徴が詳細に論じられていて、非常に参考になったので、ちゃんととりあげようと思っていた矢先だった。

美崎薫さんは、テッド・ネルソンと同様、Webの現状を原理的に批判する立場にたって、さまざまな実験と研究開発を行っている。一方私はWebの現状をちゃんと理解しようとする立場というか段階にある。天と地ほどの差があるが、人間の知的活動の多面的探究の好奇心においては対等な立場にあると思っているので、遠慮はしない。ただ、視点の違いをきちんと整理することはそう簡単でもない。すでに、コメント欄でそのあたりのこと、特に個人/社会の観点の違いについて少し書いた。

ここでは、リンクとタグの関係について私が理解したポイントだけ簡単に書いておきたい。

  • まず、一般論として、オブジェクト間の関係がリンクである。

(哲学的には関係性が対象化に先行するという見方ができるだろう。)

  • そのような関係性としてのリンクが十分に張り巡らされた後に命名がなされるのが本来であり、フォークソノミーにおけるタグ付けという一種の命名が中身のない本末転倒の命名ではないか、というのが美崎薫さんのタグ付け反対論の骨子である。しかし、フォークソノミーにおけるタグ付けは、美崎さんの理解とはちょっと違う。どこが違うかをはっきりさせるにはWeb上のリンクとは何かを正確に理解しないといけない。
  • Web上ではWebページやblog記事などがオブジェクトに相当する。そしてそれらオブジェクトにはURLというID、つまり名前が最初からついている。Web上では命名の儀式は自動的に行われている。そして、Web上のリンクとはURLへのリンクとして実現されている。その程度のリンクでは役に立たないというのが、美崎薫さんのWeb批判のひとつの根拠である。
  • それで、肝心のタグの位置づけは、オブジェクトへの直接的な命名ではなくて、URLのリンクへの命名である。Clay Shirkyさんはそのことを「タグはリンクへのラベルである」と表現している。

What I think is coming instead are much more organic ways of organizing information than our current categorization schemes allow, based on two units -- the link, which can point to anything, and the tag, which is a way of attaching labels to links. The strategy of tagging -- free-form labeling, without regard to categorical constraints -- seems like a recipe for disaster, but as the Web has shown us, you can extract a surprising amount of value from big messy data sets.
(中略)
Now imagine a world where everything can have a unique identifier. This should be easy, since that's the world we currently live in -- the URL gives us a way to create a globally unique ID for anything we need to point to. Sometimes the pointers are direct, as when a URL points to the contents of a Web page. Sometimes they are indirect, as when you use an Amazon link to point to a book. Sometimes there are layers of indirection, as when you use a URI, a uniform resource identifier, to name something whose location is indeterminate. But the basic scheme gives us ways to create a globally unique identifier for anything.

And once you can do that, anyone can label those pointers, can tag those URLs, in ways that make them more valuable, and all without requiring top-down organization schemes. And this -- an explosion in free-form labeling of links, followed by all sorts of ways of grabbing value from those labels -- is what I think is happening now.

美崎薫さんが指摘する現状のWebページ間のリンク密度の低さを補うのが、リンクのラベルとしてのタグであると考えられる。もちろん、美崎さんはその「質」を問題にするだろう。Clay Shirkyさんはdel.icio.usの実例から統計的にタグの有効性を示しているが、私のタグ検索の経験では、主にブログ記事の検索に限られるが、結構パワーになっているという印象がある。量がある程度の質を生み出していると言えるのかもしれない。