過去は刺激的だ2:Folksonomy is bricolage

前エントリーの続きを少しだけ書いておきたい。「生前」からすでに半ば伝説的存在だったbookscanner記のエントリーに大きな刺激を受けて書いたエントリーがかなりある。ちなみに、bookscanner記は梅田望夫著『ウェブ時代をゆく』でも取り上げられ絶賛された(167頁)。その刺激元のエントリーを読んでいるうちに、bookscanner記のエントリーほとんどすべてを読み直すことになった。面白かった。そして当時は気づかなかったことに沢山気づくことができた。これもまた美崎薫さんのいう「発見」である。発見があるからこそ、過去は刺激的である、というわけだ。(考えてみれば、考えるまでもなく、私が「触れられる」ものは実はほとんどすべて「過去」である。)

そんな発見を促したエントリーの中に、いわゆる「フォークソノミー」に関するものがあった。
刺激元のbookscanner記のエントリーは
(1)「フォークソノミーで論争」(2006-12-06)http://d.hatena.ne.jp/bookscanner/20061206/p1
それを受けて書いた私のエントリーは
(2)「Dr. Fabulousの検索論:Cold Searches and Research Methodologies」(2006-12-10)http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20061210/1165743253

私は刺激元の「フォークソノミーで論争」でbookscannerさんがとりあげたCollin Brooke(Syracuse Universityの文学理論系の准教授)のブログ『Collin Vs. Blog』の下のエントリーの重要性にちゃんと気づいていなかったことに今回気づいたのだった。
(3)「Folks on Folksonomy」(November 27, 2006)http://collinvsblog.net/archives/2006/11/folks_on_folksonomy.html

これは、bookscannerさんが「フォークソノミーで論争」を通して本当は言いたかったことに当時の私は気づけなかったということを意味する。当時の私はbookscannerさんが表向き注目しているように読める、昔ながらの分類(Taxonomy)を頼りにした「コールド・サーチ」と最近流行っている「分類のロングテール」とも言うべき「フォークソノミー」による「ソーシャル・サーチ」ないしは「ラテラル・サーチ」の区別に目を奪われて、そこだけを引き取って「Dr. Fabulousの検索論:Cold Searches and Research Methodologies」ですこしだけ敷衍したのだった。そしてそれは間違ったことを書いたわけではなく、それなりの結論を書いたものだった。

ところが、実は当時の私は肝心の「Folks on Folksonomy」をちゃんと読んでいなかった。bookscannerさんが引用した一部分しか読んでいなかったのだ。今回私は初めてちゃんと「Folks on Folksonomy」に目を通してみて、小さいなことも含めると実に多くの発見があった。その中でも特に「フォークソノミー」をどう理解するべきかという一番大事な文脈を当時は見落としていたことに気づいたことが大きかった。

米国でソーシャル・ブックマークがはやりだし、トーマス・ヴァンダーワルが「フォークソノミー」を造語したのは2004年の6月である。その後2006年暮れまでは、タクソノミー対フォークソノミーという対立した構図の中での議論や論争が支配的だった。bookscannerさんは「フォークソノミーで論争」で、代表的な論争の対立する議論を取り上げた上で、それらを弁証法的に止揚する、あるいは脱構築するようなCollin Brookeの「Folks on Folksonomy」を紹介したのだった。

Folks on Folksonomy」のポイントは二つあった。ひとつは、「コールド・サーチ」を典型的な検索と見なす非常に狭い「検索」理解を「ラテラル・サーチ」を視野に入れた検索理解に拡張すべきであるということ。これは私が目を奪われた点だった。もうひとつは、「フォークソノミー」は「タクソノミー」と対立するような「もうひとつの分類」では決してないということ、フォークソノミーは「出来の悪い分類」などではないということだった。では何か。

タグというのはあくまで言語使用に関わるレベルで理解されるものであり、フォークソノミーはそのようなタグのいわばブリコラージュBricolage)である。もっと言えば、タクソノミーこそが一定の安定性と間主観性に到達したフォークソノミーなのである。そしてこの点がフォークソノミーを擁護する者も反対する者も誤解している最大のポイントである。要するにフォークソノミーは分類以前だということである。その微妙な論点をbookscannerさんは明瞭に理解していたから、「フォークソノミーで論争」でも、フォークソノミーについては決して「分類」と書いていなかったのだった。

したがって、フォークソノミーを「分類」とみなした上での議論を見かけたら、眉につばしたほうがいいかもねということ。