心の無数の傷:Stan Brakhage (1933-2003)

スタン・ブラッケージ(Stan Brakhage 1933-2003)はジョナス・メカスとならぶ前衛映画の歴史においてもっとも重要な映像作家の一人である。

詩人の吉増剛造さんはブラッケージ上映委員会の依頼を受けて、四十年前にメカスの作品と一緒に「もう(すでに)」みたはずのブラッケージの映画の記憶が、「まだ」みていなかったかのように「四十年も遅れて、初めて、」触れ得たかのような興味深い想起と追体験について語る。

関口涼子さんが、詩を読むことに関して、こういっていました。”……読んでしまったら、それを読まなかったことにすることはできません。一度目の読書の時、私たちは常に「まだ」と「もう」の間で一行ごと、一単語ごとに揺さぶられているのです。”これと微妙に近い、そして、”眼が閉じられなくなるような、……”あるいは”眠ることが出来なくなるような、……”映像の経験。そう、ウィスコンシンのホテルでわたくしの初めてみた、ブラッケージの三作は『無声』でした。
(中略)
この映画人の営為には、太古からの、山の人生を送った人々の、……そして、まだわたくしたちの胎内にその痕跡を残している、その痕跡との直(じか)の格闘がある。それに比べると、『hand painting = フィルムに直(じか)に色を置き、傷(きず)を付けること』等々は、あるいは些末なことかも知れないのだ、……と、ブラッケージに出逢って驚いた心の底で、小声がします。(中略)……途切らずに戻り、戻ってはまた紡ぎという、なんでしょう、はじまりも終わりもない、そう、関口さんのいわれた”絶え間ない生の分岐”に、そしてこの無声のクレパスに、翻弄されはじめていて久しい、……これが“久しく、……”つづいて行くであろうということの確認なのかも知れません。
「途中のカゲ」(『機------ともに震える言葉』所収。121-122頁)asin:4879956805

この文章を読んで、ブラッケージの映画を「もう(すでに)」観たかのような感覚に囚われた私は、「まだ」観ぬブラッケージの作品をYouTubeで探して見つけて観た。しかし、「まだ」観た気がしない。実際には「もう」観たのに、「まだ」観た気がしない。この「まだ」と「もう」の間で「揺さぶられ」ながら私の記憶はこれから更新されていくのだろう。たしかに、「絶え間ない生の分岐」、「無声のクレパス」そのもののような映像だった。ただ、私の中には「そして、心の無数の傷」という言葉が生まれていた。

Stan Brakhage - The Garden of Earthly Delights

Stan Brakhage - The Dante Quartet!!! 6:05
http://www.youtube.com/watch?v=61SzOGVdOnk
Stan Brakhage Desisfilm
http://www.youtube.com/watch?v=usrEHr4yDsg

メカスとともにAnthology Film Archivesの共同創設者であり、アメリカの前衛映画の歴史家でもあるアダムス・シトニー(P. Adams Sitney 1944-)がブラッケージについて語るビデオもアップされていた。

P. Adams Sitney on Stan Brakhage and film
http://www.youtube.com/watch?v=Qb6OcP6gXe8

ところで、シトニーの主著『Visionary Film: American Avant-Garde, 1943-2000』はAmazonで一部「中見検索」が出来る。bookscanner(id:bookscanner)さんが言うように、スキャンは雑な印象である。素人目にも左右の傾きが目立ち、表紙、裏表紙の解像度はかなり低い、が、本文抜粋頁、目次、索引はちゃんと読める。

Visionary Film: The American Avant-Garde in the 20th Century

Visionary Film: The American Avant-Garde in the 20th Century

YouTubeには他にブラッケージに影響を受けた作品やブラッケージにオマージュを捧げるべく製作された作品がいくつもアップされていた。