黄檗(おうばく)

旅日記でも、物語でも、他人が書いたものを読む喜びのひとつは、一見極めてプライベートな、でもけっして独り善がりではない、実は「普遍的な」記述に触れることである。そこには人間にとって大切な具体的で深い知識、小文字の真実たちがそっと顔を覗かせているように感じる。例えば、先日ある限られた脈絡で紹介した花崎皐平さんの「旅日記・一九九三年------オーストラリアからインドシナ三国へ」を読んだときにも、旅立つ間際の慌ただしい準備の具体的な内容や旅の途上での思いがけない出来事や不慮の事故に、深くこころ動かされた。

とりわけオーストラリアに旅立つ前日、「1993年9月16日(木)晴」の日の旅支度の具体的記述は大変魅力的だった。

十年来愛用している紺色のリュックサック。母が締めていた帯を手さげにして作り直してもらった布かばん(母の筆書がろうけつ染めになっている)。知り合いのアイヌ女性の手になるアイヌ紋様の刺繍がついた木綿の肩かけバッグ。それに三年前、沖縄からの帰りに買った台車つきのみやげ物袋を古いワンピース布で補強したもの。リュックサック以外はみな手作りの袋物に、衣類のほか字引と本。字引は、カンボジアで入用かもしれないとフランス語のものも。新書版の中国詩人選集『杜甫』上巻、岩波文庫の『孟子』下巻、アメリカの若い作家ポール・オースターの小説『In the Country of Last Things』の三冊を旅の道づれにえらぶ。オースターは『The New York Trilogy』を読んで以来好きになった。薬用にキハダ(黄檗)の乾燥内皮とそれの一年間ほど焼酎に漬けたものの両方を持つ。胃腸によいし、疲労回復にも利く*1。北海道に自生するものを知人に分けてもらって万能薬にしている。
(「みすず」1994年7月号、3頁)

これは色んな思想の種が収まった「鞘」のようにも思える文章だが、それはさておき、私は思わず、薬用としてのキハダ(黄檗)について調べたり、植物としてのキハダ(黄膚, 黄檗, 黄柏, Amur cork-tree, Phellodendron Bark, Phellodendron amurense)について調べたりした。今後、朝の散歩では、原生林の多種多様な樹木のなかにキハダを探すようになるだろう。

*1:「効く」の誤りか。