記録

水の夢

M:この古風なカメラで、いやがる君をずいぶん撮ったよね。Y:そうね。M:でも、このフィルムを現像するには人里離れた山裾で湧き出ている水に浸けないといけないんだよ。Y:へえ、そうなの。M:これから、そこに行こうと思うんだけど、一緒に来る?Y:どう…

公園

ベリンジャーの思い出

スーパーの酒売り場で安ワインを物色していたら、ベリンジャーのラベルが目にとまり、一昔前の滞米中の夢のような一日の記憶が電光石火のごとく蘇った。2004年の晩秋のある日のこと、研究所で親しくなったTさんと彼のガールフレンドNさんの粋な計らいでナ…

神のみぞ知る古い記録媒体の消息

フロッピーディスク(Floppy Disk) MO(Magneto-Optical Disc) ジップ(zip)。日本では余り普及しなかった。 カセットテープ(Compact Cassette Tape) VHSカセット(Video Home System cassette) MD(MiniDisc) 幸いにも、今のところ磁気テープ系も含…

廃庭の圖

散歩の略図

散歩の略図

不思議なことに、ラフ・マップを描いているときには、楽譜や舞踏譜のイメージが頭の片隅に浮かんでいる。たいてい好きな音楽をかけているせいかもしれない。このような記憶の地図あるいは心の地図は、一般的な地図を大きく歪めた一種の位相空間を描写したも…

移動略図

散歩の略図

記憶の彼方へ020:未生の記憶のアンソロジー

私が生まれる前に撮られた、私の知らない彼と彼女の写真を見ていると、不思議な気持ちになる。写真の外側の世界ではその後彼と彼女は私の父親と母親になり、しばらく前に亡くなった。死によって、彼らは写真のなかの私の知らない彼と彼女に還って行った。そ…

記憶の彼方へ19:父が撮った祖母

昭和30年前後。私が生まれる少し前に父が撮った裁縫する祖母の写真。夕食の後片付けが終わって間もない時間だろうか。割烹着はそのままに、外した頬っ被りを肩にかけて、何だろう、大きな布の端を仮縫いでもしているようだ。ほつれた髪の毛と額の皺とこけた…

記憶の彼方へ18:祖父と天売島

残された写真から、祖父が私の生まれる前に天売島に渡ったことがあることを知った。単なる観光だったのか、知り合いを訪ねたのか、もう確かめる術はない。祖父自身が撮ったのか同行した人が撮ったのか定かではないが、その時撮られた十枚ばかりの写真はみな…

記憶の彼方へ17:馬場先生

昭和39年(1964)。室蘭市立高平小学校1年1組。二列目の向かって左端に立つのが馬場先生。私は最後列の左から五番目。 高平小学校の校庭。2010年6月28日撮影。 先日私が通った小学校を訪ねた時に、なんと初めて逆上がりを覚えた鉄棒が四十年以上前とまった…

2004年5月1日

モレスキンの手帳に記してある6年前の今日の日記を読む。アメリカに渡って丁度一月経った頃の記録である。読んでも、思い出せない部分が多い。 5/1(土)快晴、風冷たし9時少し前に起床。水を飲み排尿。コーヒーをいれ一服。朝食は牛乳シリアル。メールをチ…

相互連想の<頁>はどこにあるのか?

夕刊で目にとまった言葉。「追憶の風景……サンディエゴ(米)」、「文学とは声のこと、、」。 早朝のサンディエゴ (San Diego)市街、2005年3月19日撮影。 紙の神、紙の唄、文字の風、、、。原生林で朗読する。「インターネットによって見られた夢」に近づいて…

記憶の彼方へ16:土を食べたことのある私

私が3歳の頃、昭和35年(1960)頃の写真。撮影者は父親。場所は不明。いつもそばに木と土があった。どの家の壁も木の板だった。板塀が多かった。幹線道路以外の道は舗装されていなかった。雨が降ればぬかるんで、あちこちに水たまりができ、乾燥して風が吹…

記憶の彼方へ15:私の知らない母の歌声

私が生まれる数年前、昭和30年頃だろうか。汀に立つ私の知らない母。私の娘たちを知らずに死んだ、私の娘たちよりも若い私の知らない母。写真を裏返してみて驚いた。「六月三日/室蘭電信浜にて/モデル/伊藤富子」と万年筆でブルーブラックのインクで確か…

老人と老犬

今朝散歩中に見知らぬ老人と老犬を見かけた。ゆっくりゆっくり歩いている。老犬はよたよたと歩いている。老犬と目が合った。老犬が立ち止まった。ちょっと切なそうな目つきになった気がした。私も立ち止まった。小便をするわけでもなかった。私の方をじっと…

記憶の彼方へ14:親子三代

昭和33、4年。撮影者、撮影場所、未詳。祖父、父、叔父、私。若い頃の父はカメラ&バイク&釣り狂だったらしい。父は無謀にもまだ幼い、3、4歳の私をバイクの後ろに乗せ紐で自分の腰に結わいてよく釣りに行ったらしい。父の背中で眠気を催しウトウトした私は…

記憶の彼方へ12:観覧車のある風景

昭和40年頃。小さな観覧車のある風景。観覧車のゴンドラは八つのようだ。場所は未詳。コーヒーカップに乗る親子。母、弟、そして小学1年生頃の私。私は船酔いのように気持ちが悪くなるので、コーヒーカップが嫌いだった。弟と母は好きだったようだ。その日…

記憶の彼方へ13:私の知らない少年、少女

昭和30年代か。撮影者、撮影場所、写っている少女たちも未詳。1、2歳の頃の私と遊んでくれた近所のお姉ちゃんたちかもしれない。とても好きな写真。 敗戦直後、昭和20年代後半か。撮影者、撮影場所未詳。私の知らない家族。祖父母と同じように樺太から引き…

記憶の彼方へ11:私の知らないカップル

どんな写真も世界の局所のある瞬間の記録であり、いずれはその被写体の遺影となる運命にある。すべての写真は本質的に遺影である。昭和32年(1957)、私はこのカップルの間に生まれた。当然のことながら、私はこの頃の父母を直接には知らない。思えば、不思…

記憶の彼方へ10:私の知らない家族の肖像

不思議ないい写真だなあと思って見始めて5年経つ。雪中寒中記念撮影。私の知らない家族の肖像。祖父方か祖母方の親戚だろう。昭和のはじめだろうか。正月の記念撮影か。青森か秋田か。薪が積まれている。板塀の続く向こうの二軒の家の屋根にも雪が積もって…

記憶の彼方へ009:私の知らない母と私

畳、漆喰の壁、襖障子。何ストーブだろうか。燃料は薪ではなさそうだ。石炭だろうか、コークスだろうか。私は昭和32年8月21日に生まれた。写真は半世紀あまり前、昭和32年(1957)の冬に撮影されたものらしい。今、不思議を感じる。見れば見るほど分からなく…

記憶の彼方へ008:私の知らない祖母と友人達

大正15年(1926)8月20日に撮影された祖母の記念写真。撮影場所は秋田のどこかと思われる。「記念」の下に「八*境*/寫影」とあるが、*の部分の二文字が判読できない。向かって右から細川タエ子、石川ツエ、佐藤キクエ、大谷カツエの「四友人達」とある。…

旅の記録・記憶の旅3:ボロボロのモレスキンの手帳にガススタンドの領収書が挟まっていた

古いボロボロのモレスキンの手帳にインクの色褪せたガススタンドの領収書が挟まれていた。2005年3月17日にGILROY GASで、8.386ガロン給油して18.44ドルをクレジットカード払いした領収書だった。挟まっていたのはその日の日記の頁だった。その日の朝、無謀で…

北の沢川探訪

一月以上前になるが、10月5日に身近な川の二つのポイントを探訪した。上の地図の赤丸で示した地点である。ひとつは中の沢川が北の沢川に合流する地点。もうひとつは北の沢川が豊平川に合流する地点。 自宅から中の沢川が北の沢川に合流する地点まで歩く。中…

オムニバス

Bob DylanのDon't Think Twice, It's Alright(→ ビデオ)を友部正人はくよくよしないでね(→ ビデオ)と翻訳する。三年前に友人家族と一緒にル・クレジオに会った。ル・クレジオは友人の当時まだ小学生だったメキシコ人の血が流れる息子を祝福するような笑…

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life.

金ちゃんのトンデモナイ予感に満ちたエントリー「デジタルデータを数千年にもわたって存続させんだぞぃ」を読んだ時、なぜか美崎薫さんの連載『Lifelog〜毎日保存したログから見えてくる個性』で軽妙に綴られている「ライフログ」の運命のことを想った。 美…

メディアの寿命、私の寿命

危なっかしいことに、金ちゃんが「記録の問題」という名の大木の根っこを引き抜こうとしている。メディアの寿命をバラしちゃうよ、と発表しちゃった。まだ「まえがき」だけど、ちょっと「搦め」過ぎの余興もあって楽しめるよ。 「デジタルデータを数千年にも…