HASHIと行く石狩河口、銭函、そして小樽

昨日、札幌は曇り。いつ雨に降られてもおかしくない空模様。相変わらず蒸し暑かった。

前日橋村さんご夫婦と一緒に登坂した藻岩山。(前夜、嵐に襲われたニューヨークの新聞記事を切り抜き、被害のあったらしいブルックリンのメカスのことを心配したことを思い出す。)

昨日は一日、私の勝手な計画で、HASHIさん、良子さんを、札幌というよりは、北海道という土地の裸の姿の一部だと私が感じている場所へ引っ張り回してしまった。一昨日は豊平川を遡行するようにして河岸道路を走り、南のひとつのスポット藻岩山から、市街地を含めたサッポロの景観の輪郭を感じていただいた。残念ながら、実際には雲と濃霧に遮られてみることはできなかったが。



そして、昨日はいよいよ、現代の札幌の中心部から一気に、行く筋もの見えない川の流れが複雑に合流する石狩川の流れに沿うようにして下った。いみじくも、良子さんは「いつか、川下りがしたいわ」とぽつりとおっしゃったのに、私は内心びっくりしていた。

石狩河口近辺にはすぐそれとは分からないかたちで、自然の景観と分ち難くからみあった人間の歴史が刻まれている。私たちはまず石狩灯台がある半島側(表の顔、あるいは観光の顔)から、そして石狩河口橋を渡り、その対岸(裏の顔、あるいは現実の顔)から、その見えない時間の地層のような重なりをくぐり抜けていた。車の助手席からも、何度も停車して降りた場所でも、HASHIさんは休む間もなく何かを撮り続けていた。
(石狩河口にて)
(石狩河口にて)
(石狩河口にて)
(石狩河口にて)
(石狩河口にて)
私はHASHIさんの「目」を傍に感じながら、その非常にダイナミックで瞬発力のある心身の運動にも刺激されて、私のなかの、「地図」を何度も書き換えていた、更新していた。面白かった。そんな体験は、その後も繰り返された。銭函(Zenibako)の鉄道線路直近の海岸に面したとある「番屋」でも、小樽(Otaru)でも。小樽では、運河沿いを観光客に紛れながら、あるいはイタリアのヴェネツィアヴェニス)にちなんだ「占い」のお店で仮面を物色しながら、あるいは小樽の「奥」、市街地からトンネルを二つ抜けた先、すでに閑散とした小樽水族館、ヨットハーバーがある祝津(Shukuzu)、高島岬(Takashima Point)から石狩方面を望みながら、さらに、赤岩山(Mt. Akaiwa)の展望台から夕日が日本海に金色の絨毯を敷くのを眺めながら、私の予想を心地よく裏切るHASHIさんの非常にオープンでピュアな心と痛快なカメラワークを目撃し続けた。運河沿いの遊歩道では、三組の家族連れやカップルに次々と写真撮影を頼まれては、快く引き受け、楽しい会話を繰り広げるHASHIさんの姿や、良子さんのアシスタントぶり、ニューヨークや東京のスタッフとの携帯電話での仕事上のきびきびとしたやりとりも印象的だった。
銭函から小樽方面を望む)
小樽運河にて)
小樽運河にて)

(祝津にて)
(祝津にて)
(祝津にて)

(赤岩山展望台にて)
(赤岩山展望台にて)
(赤岩山展望台にて)
(赤岩山展望台にて)

祝津では、思いがけず、犬の散歩をなさっていたその辺り一帯の地主さんと出会い、貴重な話をいろいろと伺うことができた。「洞窟」や赤岩山展望台からの眺めはその方のお薦めだった。無事、札幌に帰還して、夕食にありついたときにはすでに午後8時を過ぎていた。お二人も楽しみにしていらしたいわゆる「スープカリー」を木多郎でご堪能いただいた。店のご主人がカレーの写真を撮ってもらえなかったことを残念がっていたのがおかしかった。一日半の短い旅を振り返りながら、最後に水をワインかシャンペンに見立てて乾杯した。

橋村ご夫妻は次の撮影地を目指して今朝早くに札幌を発った。