ジョナス・メカスによる365日映画、8月、225日目。
Day 225: Jonas Mekas
Monday, August 13th, 2007
3 min. 37 sec.
rain, morning
Japan
雨、朝
日本
昨日とほぼ同じアングルからの固定した映像。雨音が聞こえる。画面に網がかかっている。窓の網戸越しの映像のようだ。そこに水滴が沢山ついている。25秒たって「8月3日日本」とテロップが入る。雨音がだんだん大きくなる。最後に次のようなテロップが入る。
today anew
I realize the sadness
of it all,
my melancholy fate
has but changed its shape
--Murasaki Shikibu
これは3月29日にゾーイ・ルンド(Zoë Lund, 1962-99)を悼むフィルムでも引用された紫式部の歌である。オリジナルはこうである。
あらためて
けふしもものの
悲しきは
身の憂さやまた
さま変りぬる
「平安王朝クラブ」の「紫式部・和歌『紫式部集』&補遺」の「通釈」はこうである。
今までも夫との死別の哀しみなどを味わってきたが、年があらたまった今日の今日、このめでたい正月に今更悲しさを感じるのは、年が変わったように、宮仕えをして、変化した身の上や境遇からくる、以前とは違ったつらさがあるからだろうか。
これに対して、私が試みた英訳の和訳はこうだった。
今日という新しい日に
こともあろうに悲しんでいる自分がいることに気づくのは
憂いを宿命づけられた人生が
その姿を変えたからか
そしてそれをさらに次のように敷衍した。
日が改まっても、あるいは年が改まっても、すなわち人生という時間の周期的な節目を迎えても、それが文字通りの区切りになるわけではなく、人生は続いているのであって、だから、私の人生の根源的な悲しさ(sadness)は消えることはなく、しかも、物憂い現実の様子、姿が替わることで、かえって、いわば背景が入れ替わることになり、その悲しさがまるで新しい絵のように鮮明に浮かび上がることもある、ということか。
日本の景観が、メカスが抱える悲しい心の景観を改めて浮き彫りにしたということか。