ジョナス・メカスによる365日映画、7月、183日目。
Day 183: Jonas Mekas
Monday July 2nd, 2007
3 min. 07 sec.
hard rains
fall on
Williamsburg
激しい雨が
ウィリアムズバーグに
降る
ウィリアムズバーグの街角のカフェの入口付近で雨宿りしながら、激しく降る雨を撮り続けるメカス。しばらくしてカフェに入るも、すぐに通りに面した大きな窓越しに外の雨の様子を撮り続ける。雷鳴が聞こえる。
古いカラーの映像。風に揺れる木の枝と葉。その向こうに青空。レンガ造りの建物(おそらくアンソロジー・フィルム・アーカイブズの建物)の上部が少しずつフレームに入る。
テーブルの上の焦げ茶色の帽子。
三つのシーンが無造作に、乱暴に繋げられたような第一印象。
***
前回、メカスは日々の生活の中で現実を蒸留して俳句のような少ない言葉に匹敵するイメージ、小さなフィルムを作ることを目指していると語った。日々の生活のなかに反映している人間性を尊重するからだと。そして単純であることを目指していると。しかし、そうはいっても、日々の生活は、現実は、人生は美しくも複雑であるから、その目標に到達することは非常に困難だ。他方、現在の生活のリアルタイムの記録と膨大な過去の記録(フッテージ)とのつながりとそのバランスにも心を砕いていると語った。それはメカスなりの人生の記録、いや記憶そのものの絶えざる更新、書き換え、つまりは今生きていることの証言である。
今日からメカス自身どうなるか分からないと告白した挑戦が再開した。どんな物語からも限りなく遠い地点、つまり今ここで私の目に映る現実をまさに「蒸留」しようとするかのように、雨を、風に揺れる木を、帽子を凝視するカメラ=メカス。しかし、もちろん、メカスの狙いを裏切るように、映像は饒舌だ。それこそ無限の対象がそこには映りこんでいる。赤ん坊を抱いた中年の男は印象的でさえある。しかし、しかし、その複雑さをも込みで単純であること、当たり前の複雑さを孕んだ単純さ、単純に見えて実はこの上なく込み入っている現実の手触り、ならぬ「目触り」とでもいえるような質が感じられるような気がする。