a scean of 9/11 from 491 Broadway:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、9月11日、254日目。


Day 254: Jonas Mekas
Tuesday, September 11th, 2007
5 min. 03 sec.

9/11 as seen from
my roof
491 Broadway---

491ブロードウェイ
の自宅屋上
から見られた9/11

メカスがブルックリンのグリーンポイント(Greenpoint, Brooklyn)に移り住んだのは2004年2月だから、2001年の9月11日にはまだいわゆるソーホー(SoHo)に住んでいた。491 Broadwayだけでは、東か西か分からないが、いずれにしても、19世紀後半に建てられた古風で表情豊かなビルディングが並ぶ通りである(Broadway: New York Songlines参照)。そんな建物のひとつの屋上から、メカスは新しい高層ビルが建ち並ぶ方向にカメラを向け、ビルの谷間から雲のように煙が湧きあがるのを撮影し続ける。メカスは記録するかのように、カメラを腕時計に向ける。針は午後12時10分過ぎを指しているから、二つのタワーが崩壊した後である。メカスは沈黙している。救急車のサイレンとクラクションの音だけが聴こえる。

場面は替わり、ブロードウェイの路上から煙が立ち籠める方向を撮る。「ブロードウェイ、スプリング・ストリートの角(On Broadway, Spring Street corner)」というメカスの声が聴こえる。この地図から分かるように、WTCのあったローワー・マンハッタンの「現場」はメカスのいる場所からは2キロほどの距離がある。遠くの火事の様子を窺っているような映像である。通りを往来する人々の多くは「それ」に気づいてさえいない。いつもと変わらない日常を生きている。メカスは敢えて広角のまま日常が進行するこちらと非日常的事態が進行しているあちらを共にフレームに収め続ける。

場面は替わり、メカスは数ブロック「現場」に近づいたところで同じように撮影し続ける。メカスの撮影に気づいて、カメラが向けられた方角、煙の見える方角を見やる通行人が僅かにいるが、すぐに見るのを止めた。彼らもまだ「それ」を知らない。救急車のサイレンの音が絶え間なく聴こえるが、それを気に留める人もいないようだ。

場面は替わり、テレビ映像。CNNの臨時ニュースの映像。「攻撃される(UNDER ATTACK)」のテロップが見える。アマチュア・カメラマンによる粉塵の立ち籠めた「現場」近くのビデオ映像が流れている。現場の方に足早に向かうレポーターらしき男が、カメラマンに向かって緊迫した口調でいう。「もうすぐだ。建物はもうない。」救急車が見える。マスクをした埃まみれの救急隊員らしき男が映る。消防隊員の姿も見える。「現場」はブラウン管の向こうにある。

メカスはひと言も語らない。以上のような私がかいつまんで言葉にした映像によって何かを示す。

***

いわゆる「アメリカ同時多発テロ事件(September 11, 2001 Terrorist Attacks)」について、具体的に被害者を悼むこと以上に何かを一般化して語ることは非常に難しい。明らかにされていないことが多いと同時に自明視されていることの内実がかならずしも明らかではないからだ。しかも、そのことに絡んでもっとも厄介なことは、それについて語る者が立つ「立場」の問題である。

だからこそ、おそらくメカスは、あくまである特定の場所から見られたにすぎない9/11の景観の一部として「それ」を記録した。マスコミ報道による情報を知らなかったはずはない。しかし、メカスはそのレベルの情報にはまったく関心を示さない。喩えて言うなら、彼はいつも100人のうち99人が殺到して大騒ぎする大きな出来事よりも、あるいはそれと同じ重さで、残りのたった一人が人知れず遭遇する小さな出来事に目を向ける。徹底している。