A/Orcadianと鯨、不思議な連想

先月出たばかりの本邦初訳、橋本槇矩訳、エドウィン・ミュア著『スコットランド紀行』(岩波文庫)を、ミュアにとっての「スコットランド」を私にとっての「ホッカイドウ」と置き換えながら興味深く読んでいる。

スコットランド紀行 (岩波文庫)

スコットランド紀行 (岩波文庫)

原著"SCOTTISH JOURNEY"は1935年に出版された。
Scottish Journey

Scottish Journey

スコットランドの北の沖に浮かぶオークニー諸島で生まれた詩人・批評家ミュアについて、訳者の橋本氏は「訳者あとがき」のなかで次のように要を得た見事な紹介をしている。

エドウィン・ミュア(Edwin Muir, 1887-1959)は1887年にオークニー諸島に生まれました。父親は95エーカーを耕す借地農でした。オークニー独特の風土と社会がミュアにとって神話的かつ心理的原風景となりました。自伝『物語と寓話』(1940)の冒頭で「人間と動物が調和して生きている」理想郷のような土地であったと回想しています。9世紀から13世紀にかけてオークニーは北欧のバイキングの土地でした。1926年の義兄への手紙の中でミュアは、「私はスコットランド共和国が誕生することを願っています。そうすればスコットランドも生きがいのある国になるでしょう。……しかし私はグリーヴ[ヒュー・マクディアミッドの本名]に繰り返し言ったように、スコットランドにかなりの距たりを感じています。というのは、結局自分はスコットランド人ではなく、オークニー人あるいは良きスカンジナビア人だからです。私の祖国はノルウェーデンマークあるいはアイスランドのような国です」と述べています。ここにオークニー人と訳した原語はOrcadianです。一字違えてArcadianとすると「理想郷の人」となります。オークニー諸島はthe Orkney Islandsです。鯨を海の「豚」(pork)と言い、後にpが脱落してOrkneyになったと言われています。鯨の島ということになります。このようにまずは自分がスコットランドに帰属してもスコットランド人ではないと自己規定していることは、スコットランドへの愛憎いりまじる彼の批判意識と不可分でしょう。(288-289頁)

図らずも、ジョナス・メカスによる365日映画、8月14日、226日目において、メカスが読み上げた新渡戸稲造『武士道』の原著(そもそも英文が原著である)Inazo Nitobe, "Bushido, the Soul of Japan"(1899)の「古代ギリシアの歴史家ポリュビオスによる理想郷アルカディアにおける音楽の重要性に関する説明」部分、

Polybius tells us of the Constitution of
Arcadia, which required all youths under thirty to
practice music, in order that this gentle art might
alleviate the rigours of the inclement region. It is to its
influence that he attributes the absence of cruelty in
that part of the Arcadian mountains.

の日本語訳を、昨日メカスの読んだ新渡戸稲造『武士道』矢内原忠雄訳『武士道』(岩波文庫)に照会したのだった。

ポリビウスの語るところによれば、アルカディア憲法においては三十歳以下の青年はすべて音楽を課せられた。けだしこの柔和なる芸術によって、風土の荒涼よりきたる粗剛の性質を緩和せんとしたのである。アルカディア山脈のこの地方に残忍性の見られざる理由を、彼は音楽の影響に帰している。(58頁)

ちなみに、私が生まれ育った北海道の登別から室蘭にかけての沖合は古来鯨の回遊コースであるらしく、昨日「われわれ」の記憶の暗部、蘭法華(らんぽっけ)岬の「山神」碑の謎で紹介した、かつて蘭法華岬に実在した巨大なアふンルパルはそこで鯨を解体しあの世に送る場所であったとも言われていて、現在でも室蘭市の観光の一つの目玉は鯨ウォッチングである。また私は毎日、室蘭港の入口に浮かぶ大黒島(だいこくじま)を、白鳥湾に遊ぶ鯨のように見立てて遊んで育ったのだった。