昨夜、東京で前代未聞のネットビジネスを次々と立ち上げている才気あふれる若きアントレプレナーT氏とある領域の学問に邁進している真摯なM嬢が訪ねてくれた。ご両人を伴って、晩飯がてら、吉田初三郎の鳥瞰図が縁で知り合ったアンティーカーさんのレストランに行った。彼らとの話は新鮮で刺激的だった。「個の力をどう発揮するか」、「現状をどれだけ楽しめるか」、「コミュニケーションのなかでどう演技するか」、「違う世界を生きる人間を交流させる場をどう作るか」等々、学生達にも聞かせたい話題がポンポン飛び出して面白かった。私は読んだ事のないマンガを巡る若い二人の談義も聞いているだけで楽しかった。農大を舞台にしたマンガ(題名忘却)は「世界とはこういうもんだ」ということをしっかりと描いているようで面白そうだ。
閉店時間を見計らって私たちの話の輪にオーナーのアンティーカーさんも加わり、吉田初三郎はもちろん、札幌の知られざる歴史、隠された事実の数々から、最近入手されたという昭和初期に鉄道省が初三郎の鳥瞰図を採用して編集・発行した分厚い札束の如き全国観光案内情報誌(誌名忘却)、田中久重(「からくり儀右衛門」)が江戸時代に製作したあの驚くべき和時計(「万年時計」)にまで話が及び、時間に花が咲いた(変な表現だが、そんな感じ)。
ところで、私が一昨日記録した「Kさんの扇風機」は少なくとも大正時代以前の芝浦電気製であることは間違いないというのがアンティーカーさんの見立てだった。案の定、アンティーカーさんは是非手に入れたいとの意向だった。また、一昨日私はアンティーカーさん所蔵の扇風機(写真)を「三菱重機が製作した同じような扇風機」と書いたが、正しくは零戦の一部を製造した三菱航空機の後身「三菱重工業」の名古屋工場だった。(ちなみに、零戦の大半を製造したのは中島飛行機、現在の富士重工業、通称スバルである。)しかも戦後まもない1948年(昭和23年)の製造で、デザインも「Kさんの扇風機」とはかなり違っていた。名称は「三枚羽根扇風機」。上の写真からは伝わり難いかもしれないが、横から見た姿は正に零戦を彷彿とさせる「質感」のデザインだった。私の記憶は当てにならない。うろ覚えで書いてはいけないと反省した。
T氏もM嬢も非常に好奇心旺盛で何でも楽しむ術を身につけているお陰でアンティーカーさんも乗りに乗って次から次へと貴重なコレクションすべての並ではない詳細な解説と実演を披露してくださった。そして通過儀礼の如きCurt Baumのストリート・オルガンの演奏を勧められたT氏、M嬢はとても上手に演奏した。T氏が「とてもハピーな音ですね」と感激の声を上げたのが印象的だった。そうして気づいたら、真夜中になっていた。