Sebastian, my son, New York, 1983 *1
ジョナス・メカスは1992年に『セバスチャンの教育、あるいはエジプトへの回帰(The Education of Sebastian or Egypt Regained)』という351分の8mmビデオ作品を発表した。1992年1月4日から19日まで、ジーン・ヒューストン(Jean Houston, 1937-)を引率者とする、参加者およそ100名におよぶエジプト旅行に当時11歳だった息子のセバスチャン(Sebastian Mekas, 1981-)と参加した際の「ビデオ日記」である。
メカスは1996年に来日した折の吉増剛造との対話の中で、この『エジプトへの回帰』についてこう語っている。(この対話は「対話・1996年 たぎつ瀬、詩と映像の越境」と題されて、『フローズン・フィルム・フレームズ------静止した時間』(河出書房新社、1997年)に収録されている。)
『エジプトへの回帰』をビデオで撮ったのは、一遍に回せるのが十八秒だけのボレックスと違って、ビデオは長時間続けて撮影できるからです。古い歴史を持つエジプトという国を撮るには、ビデオを使って持続的にゆっくり取り組むことがどうしても必要なんだろうな、というのを直観的に感じたんですね。自然にそういう発想が出てきました。同時に、これはいままでの自分の作品とはかなり違ったものになるだろうという予感もありました。
(中略)
エジプトに行って考えたことのひとつに、ルーツの問題がありました。自分とセバスチャンのルーツは何なのか、とあらためて考えさせられた。
(中略)
マイナーな文化は、周囲からつねに抑圧され続けているために、どうしても自分を守ろうとして縮こまり、外からの力を遮断し、外との接触を絶とうとする。そうすると、確かにその閉じた環境の中では独自性は保てるけれども、タイムカプセルの中にいるようなもので、外部との交流ができなくなってしまう。しかし、境界を取り払って自分を開いてしまうと、外部に飲み込まれてあっさりつぶされてしまう危険性もある。とても難しい状況にあると思います。
私はリトアニアで生まれてアメリカに渡り、セバスチャンはアメリカで生まれ育ったわけですが、そういう具体的な地名だけがルーツではない。もっと普遍的なルーツもあるはずだ、とエジプトで考えました。私はよく「あなたの故郷はどこか」と聞かれますが、最近はリトアニアでもないし、ニューヨークでもない、「私の故郷は映画だ」と答えるんです。
(83頁-85頁)
「セバスチャンの教育、あるいはエジプトへの回帰」というタイトルには、「普遍的なルーツ」としての「故郷」の問題が人間にとっての最も深い意味での「教育」の問題として表明されている。ただし、「回帰」と穏やかな訳語が当てられている"Regained"にはある意味で失われたものを別の意味で取り戻す、奪回するといった強い意志が籠められていると感じる。そして、決して「リトアニアへの回帰」ではなく、「エジプトへの回帰」であるところに、メカスの普遍的な思考、危険なほどに開かれた思考を感じないわけにはいかない。「私の故郷は映画だ」は洒落ではない。「映画」はそれこそ"Nowhere"でもあるだろうし。365日映画のなかでも頻繁に登場した26歳になったセバスチャンはニューヨークに生まれ育ったが、いかにもニューヨーカーらしくないところがとても素敵だ。彼もまた「私の故郷は映画だ」に近いことを言うとすれば言うにちがいないと思う。
『セバスチャンの教育、あるいはエジプトへの回帰』は「出エジプト記(Exodus)」を含めた旧約聖書の向こう側というか、裏側に触れているような気がする。メカスは「神」とではなく、「世界」あるいは「自分自身」との深い契約を1992年に結んだと言えるのかもしれない。
*1:From As I was moving ahead occasionally I saw brief glimpses of beauty, http://www.logosjournal.com/mekas.htm