文字の辺境、無音の約物の世界は賑やかだ

藤岡弘」、「モーニング娘」…。知らなかった。芸名に句読点やピリオドが含まれる芸能人がこんなにいるとは。芸人ではないが、そういえば、知り合いのデザイナーは「takuo.. .」だった。シャレたことをしているなあと感じていたが、文字世界の辺境に遊ぶセンスの賜物なのだった。

組版と印刷の世界では、句読点をはじめとして括弧類・圏点・漢文用の返り点など文字や数字以外の各種の記号を総じて約物(やくもの)と呼ぶ。欧文ではPunctuation

府川充男は前田年昭との対談「約物組版設計を見る眼」の中で約物の歴史についてこう語る。

(嵯峨本の古活字版『伊勢物語』のような)古活字版の世界には句読点をはじめとする記号・約物というのがないので、それに伴う禁則も、それを避けるための調整も存在しません。では、約物の禁則がいつごろから出来てきたかと言えば、抑〻(そもそも)文字列の中に約物が入ってきてからということになります。すると、切支丹版国字本を措くとすれば、約物・記号の歴史というのはかなり浅くて、日本ではたかだか江戸期中葉以降、多くの約物は明治初年以降百何十年かの蓄積しかないことが判然とします。
(『組版/タイポグラフィの廻廊』166頁)

そんな歴史の浅い約物の世界では禁則以外にはルールの「規範性」に様々な揺らぎが感じられ、また暗号のような未知の記号が踊ってもいてとても面白い。上の引用中の「〻」(二の字点)などは正しく「踊り字(Iteration mark)」などとも呼ばれ、実はその歴史は殷の金文にまで遡るという。


「特殊記号」に分類された「〻」を探したところ。

約物のなかで、私がいつも一瞬戸惑うのは括弧類の用法である。特に、鍵括弧で括られた文章の中でもう一度鍵括弧で括りたいときに二重括弧を使うという一般的ルールに抵抗がある。どう見ても二重鍵括弧が浮いて見えるし、場合によっては不要な意味を発散する。でも仕方ないなあと諦めていた。

ところが、前田年昭がこう語っていてハッとした。

府川さんは『組版原論』で大鍵と小鍵の遣い分けについても書かれていましたね。最近はどうなんでしょうかね。きちんと遣い分けをしようという志向はあまり見られないようですね。
(同上、188頁)

早速『組版原論』にあたってみたら、こうある。

活版や写植の場合、鍵括弧には大鍵と小鍵が共存する。高度な組版において意図的な遣い分けを行う場合(通常は大鍵とし、引用中の重引、会話中の引用などに小鍵を用いる)を除き、両者を混用してはならない。(256頁)

なるほど。しかし府川氏によれば、この「大鍵と小鍵」の遣い分けルールの記載は例外的に少なく、『校正必携』などの日本エディタースクール系のみであるらしい。たしかに、そもそも小鍵が存在することすら私は知らなかった。小鍵が使いたい。しかし、残念ながら、入力の仕方が分からない。小鍵は大鍵の「異体字」扱いのようだが、変換が大変みたい。

最後に、前田年昭の次の言葉に良い意味で大きくひっかかりを感じたことを記しておこう。

それにしても、約物というのは面白いですね。職業的校正者の対面校正以外はこれを音声に出して読むことはまずない。
(『組版/タイポグラフィの廻廊』170頁)

それから、詩人の吉増剛造約物の魔術師の一面を持っていたことに気づいたことも記しておこう。