『組版/タイポグラフィの廻廊』の中身、平仮名の実験

本日、先の「タフテ」と一緒に府川充男他著『組版/タイポグラフィの廻廊』(白順社、2007年12月、asin:4834400980)が届いた。「はしがき」によれば、本書は当初『組版原論』の新版として企画が持ち上がったらしいが、諸般の事情から、「旧著から講演一本のみを択り、それに附しては雑誌に掲載された対談、座談会を組み合わせ、大熊肇氏による書下ろし稿を加え」たアンソロジーとなった。ところで、さほど意外なことではなかったが、『組版原論』はそもそも『聚珍録』の「販促用パンフレットとして急遽制作されたものにすぎなかった」という。ところが販促すべき『聚珍録』が大幅に遅延したために、『組版原論』は一人歩きしてしまったという認識を府川氏は漏らしている。

組版/タイポグラフィの廻廊』の「目録」*1

題名 著者 初出
タイポグラフィの視線 府川充男 組版原論』
八〇年代のブックデザインとタイポグラフィを過る 府川充男 ユリイカ』(2003年9月)
字体を見る眼 小池和夫*府川充男 『アイデア』322号(2007年4月)所載「和文活字を見る眼–[連載第1回]字体
仮名と書体を見る眼 小宮山博史日下潤一府川充男 『アイデア』324号(2007年句月)所載「和文活字を見る眼–[連載第2回]仮名と書体
約物組版設計を見る眼 前田年昭*府川充男 『アイデア』325号(2007年11月)所載「和文活字を見る眼–[連載第3回]約物組版設計
字体の変遷––甲骨文字から常用漢字まで 大熊肇 書下ろし


タイポグラフィの視線」を除いては初めて目にする文章ばかりだが、みな大変興味深い。一通り目を通しただけでも刺激される。特に「仮名と書体を見る眼」では、漢字と仮名、約物の書体としての「自立性」という視点に眼を洗われた。

小宮山*以前、雑誌の記事のために朝日新聞の「天声人語」を例にとって文章中における仮名の占める割合を調べましたけど、平仮名と片仮名で全体の60パーセントを超えていますから、仮名を代えるだけで組版の印象はがらりと変わったものになります。それと昔は漢字と仮名は別の人が作っていて、もともと違うものだったという歴史的経緯もあります。漢字と仮名をセットとして作り始めたのはベント彫刻機用拡大原字からだとうと思いますが、基本的には写植書体以降と言っていいのかもしれません。

府川*地金種字の直彫り名人・清水金之助さん(馬場政吉の弟子。旧・岩田母型製作所)も「仮名を彫ったことはない。何十年も漢字だけを彫ってきた」と言われていますしね。

小宮山*いや、名刺にそう書いてあります(笑)。慥かに。清水さんはほとんどが「足し駒」(補充字の種字)の彫刻で、セットで作ったことはありませんね。

府川*平仮名と片仮名も別の人が作ったケースが多かったようにも思います。(中略)世間でしばしば「○○書体の仮名」という言い方をするのを良く耳にします。つまりある「漢字書体に従属した仮名書体」があると考えていることになる。でも本来は漢字と仮名を別々の人が作って合わせたものだったのだから、「○○書体の仮名」という言い方は少し変なわけです。活字の大きさが同じであれば、漢字書体の相違を貫通して同じ仮名活字を遣っていた場合が多いし、例えば隷書活字には片仮名はあったけど平仮名は存在しなかった。欧文やアラビア数字ももちろん漢字や仮名とは別物で、「○○明朝体の欧文」というものはありませんでした。特に金属活字の場合はほぼ百パーセント、いわゆる「従属欧文」は無かったといって良いと思います。和文書体従属の欧文という意識が生まれたのは、やはり写植の時代でしょう。和文組版を基本的に、それぞれ自立的な漢字と仮名、約物などが組み合わされているものと考えれば、その組み合わせ方に最も多様な選択肢をもたらすことになる仮名は、組版に大きな可能性を与えると言えます。
(131頁)

成る程。実際に『組版/タイポグラフィの廻廊』もまた『組版原論』と同様に、そのような多様な仮名、特に平仮名の実験が試みられたタイポグラフィの見本のような本である。


築地体一号細仮名が遣われた「はしがき」

*1:府川氏は『組版原論』から一貫して「目次」ではなく、「目録」と書く。