テクストの領土、組版の領域

世の中にはテクスト右派とテクスト左派がいる、と考えた。いわゆる本好きはテクスト右派。テクストは読めりゃいい派。いわば真性意味中毒者。対して、私がなりかけている字体、書体、書風まで気にするのがテクスト左派。テクストは読めりゃいいってもんじゃねえと、ちょっと斜に構えたひねくれ者。別名真性活字中毒者。実際にはその中間に無限の程度差がある。それに、私にかぎっては、一日のうち真性活字中毒者に近づくのはせいぜい数時間で、残りの大半は立派な普通の意味中毒者である。

組版/タイポグラフィの廻廊

組版/タイポグラフィの廻廊

一昨日『組版/タイポグラフィの廻廊』(2007年)を軽く紹介した。10年前に「現象」にまでなったという伝説的な『組版原論』(1996年)を踏まえた、その後の約10年間の日本における「組版/タイポグラフィ」の現実と理想を巡るアンソロジーである。面白くてあっという間に一通りは読み遂せてしまう内容である。

その中で四番目に収録された2007年に行われた小宮山博史日下潤一府川充男の自称真性活字中毒者三氏*1による座談会「仮名と書体を見る眼」を読みながら、以前から薄々感じていた同じ真性活字中毒者でも傾向の違いがあることにはっきりと気づいた。例えば、府川充男小宮山博史はある意味で対照的な視線を持つ。府川氏はダメなものはダメと切り捨て理想的な解を求めて突っ走る傾向があり、小宮山氏は現実的な解を求めて尊敬する人がダメだしするものにもイイところを見出そうとする。日下潤一氏の傾向はまだつかめていない。

例えば、書体の良し悪しを巡るこんなやりとりにその違いが現れている。

小宮山*府川さんはリュウミンって遣ったことあります?
府川*大昔、DTP黎明期のあたりに単行本1、2冊の本文では遣いました。仕方なしにだけど。
小宮山*日下さんは?
日下*遣わない。
小宮山*なんで?
日下*本文にすると存在感がうすい。岩田に比べると表情が少ない気がする。(後略)
小宮山*写植以降新しい明朝はそう出ていない。その一つがリュウミンでしょ。僕は割合リュウミンは良くできていると思うのね。
府川*ただ、私に言わせれば手垢が付きすぎてしまった。(後略)
小宮山*リュウミンを面白いと思って遣っている人も中にはいるかもしれない。カーブなんかすごく綺麗だと思う。
(149–150頁)

もちろん、三氏は「組版/タイポグラフィ」の分厚い歴史と複雑な現実をくぐり抜けた共通の土俵の上に立っている。その意味では私のような素人には本当はまだ手が届かない現実性を前提とした上での比較である。

ちなみに、リュウミンとはモリサワが開発販売する明朝体のフォント。こんな書風。


リュウミンL-KL[たて組見本]



リュウミンL-KL[よこ組見本]
ともに「書体見本リュウミンファミリー」(モリサワ)から

リュウミンの概説はこちらで。

リュウミンヒラギノの「比較哲学」はFeZnさんにお任せ。私にはまだちょっと付いて行けないところがあるけどかなりSKC度*2高くて面白いよ。

本題「テクストの領土、組版の領域」に入る迄の話が長くなってしまったので、この辺で。つづきは改めて。

*1:以前紹介した『真性活字中毒者読本』(2001年)の執筆者たち。

*2:真性活字中毒度のこと。