「強風に揺れる白樺の木」と「白樺の木の強い風に揺れて」の間に

昨日の朝は、小雨が降るなかを傘をささずに散歩に出た。風が強かった。湿った生温い空気の中でちょっと冷たい雨に打たれるのは気持ちよかった。通りに面した小さな家庭菜園で紫の花が開きかけた大きな蕾が目に留まった。初めて見るような気がした。どんな花を咲かせるのか楽しみだ。かねがね撮影が難しいと感じているラベンダー。懲りずにためしに接写してみたが上手くいかなかった。

白樺が強風で大きく左右に揺れていた。見とれた。

ちなみに、英語のタイトルをつけるとき、木が強風で左右に揺れるの「揺れる」がパッと出て来ませんでした。"sway"なんですね。手元の辞書によれば、英語では何がどう揺れるかで、十数個の異なる語を遣い分けます。逆に"sway"には少なくとも四つの日本語が対応します。日本語「揺れる」と英語の"sway"との間の(翻訳)関係を考えただけで、日英(英日)機械翻訳システム設計の難しさは計り知れないと感じます。日本語で「揺れる」という語に焦点を合わせたときに浮かび上がる意味ネットワークと、英語で"sway"を仮の中心と見立てたときに見えて来る意味ネットワークの落差に目眩がします。ここには「恣意的な差異の共時的体系」(ソシュール)としての言語の姿を垣間見ることができると言えるでしょうか。

ついでに、「強風に揺れる白樺の木」をGoogle の日英翻訳にかけると、"Strong winds tossing white birch" に*1、"The White Birch Trees Swaying in the Strong Wind"を英日翻訳にかけると「白樺の木の強い風に揺れて」(なかなかイイ感じでしょ)と翻訳されます。この例だけからでも、Googleの日英(英日)翻訳システムの「仕組み」をあれこれ想像してみるのは面白いと思います。そしてこの結果を「頑張ってるね」と褒めるか「使い物にならん」と貶(けな)すかはその人が「翻訳」をどう考えているかによるところが大きいと思います。私はと言えば、大分前に書いたのですが、Googleは結構頑張っているけど、その方向性にちょっと違和感を抱いています。

*1:なぜか、「木」を「樹」に変えただけで、"Birch swing in high winds"と翻訳されます。面白い「現象」ですね。