私の狂気を生き延びる道を教えよ

映画やドキュメンタリーやアニメーションは「作品」を作ることのなかに完結してしまうものではないと思う。『イメージフォーラム・フェスティバル2008札幌』で観た作品のなかで感動したものからは、作者たちの人生そのものがある意味では「映画」であり「ドキュメンタリー」であり「アニメーション」であり、つまりは「実験」なのだという気迫が伝わって来た。作品主義でたまたま「成功」した連中の世慣れた戯れ言ほど気持ち悪いものはない。

人生のどんな瞬間においても、これが「映画」だ、これが「ドキュメンタリー」だ、これが「アニメーション」だ、という一種の狂気を感じさせる人にはなかなか出会えない。実験映画を観に来る人たちに「実験映画」的存在感が希薄なのはどうしてなのか。「いま、ここに」自分がいることが、実は「実験」の核心なんじゃないの? そんなことをつらつらと思いながら、数多くの実験映画を観ていた五日間だった。そんななかで、ああ、この人は本当に「アニメーション」を生きているんだなあ、実験的人生を生きているんだなあ、と初対面の時から強く感じさせられたのが、倉重哲二さんだった。倉重先生の生徒さんたち、ちゃんと先生の本質を見倣ってよ。