ようこそ、北へ。hayakarと行くishkarその2

シュッポロは終わらない。12月の話をすれば、鬼が笑う。まだ11月がある。SLと化したhayakarさんがシュッポ、シュッポと北海道にやって来る。

いざ、北へ(『hayakarの日記』2008年10月22日)より

意味不明の場合は、昨日のエントリーおよび「シュッポロ」関連記事なども、ご参照ください。


さて、続き、である。


大きな地図で見る

hayakarさんと辿る「水の道」の後半のポイントに、江別(えべつ)を選んだ。現在、焼き物と煉瓦の街としても知られる江別は、明治以来、大正、昭和の初め頃まで、石狩川航路と鉄道輸送の結節点として栄えた、文字通りの交通の要所だった土地である。今でも当時を彷彿とさせる、煉瓦作りの古い建物がたくさん残っていて、いろんな形で再利用されている。それらは観光名所ともなっている。

しかし、現代の行政区画(国家が円滑な国家機能を執行するために領土を細分化した区画のこと)に麻痺した感覚と解像度の低い眼をチューンナップすべく、わたしたちは豊平川沙流川千歳川、夕張川と石狩川の水の流れで感覚と眼を洗い、江別に入る。そして近代以前の土地の姿、ランドスケープを透視することになるだろう。川の、水の神話的魔術的想像力(?)を立ち上げるのだ。

ところで、現代の地図でも、江別近辺を見ると、変な地名が目にとまる。「江別太」。エベツブト? エジプトみたい。漢字の持つ意味に引っ張られて、太いって、何が? と思ってしまう。でも、実際には「プトゥ(川口)」が訛った末の「当て字」にすぎない。北海道の地名では特に漢字の意味の向こう側に秘められた豊かな音の世界に耳の穴を思いきり聞かなくてはいけない。

山田秀三著『北海道の地名』(asin:489363321X)では「江別」と「江別太」が項目として並記され、まとめて解説されている。ところが、要するに語源、由来に関してはよく分からないという結論だった。「類例が少なく解しにくい地名である」、「難しい地名である」という正直な感想の間に過去の諸説が紹介されている。その中で興味をひかれたのは、『北海道地名の起源』(昭和29年)の「新説」である。

イ・プッから訛ったものと思われる。イ・プッとは(それの・入口)即ち大事なところへの入口を意味していたのだろう

と書き、千歳駅の項で、

千歳は往時文化の大中心地だったので、その北の口をイ・プッ(江別)と言った

と書いた。

(中略)

 現在の江別市街は元来は江別太と呼ばれた土地から発達した処で、エベッ・プトゥ(江別川の・川口)の意であった。
(41頁)

千歳が文化の大中心地で、千歳への北からの入口として江別は栄えた時代があった。愉快だ。石狩を見る眼が変わる。そんな時代の記憶をも喚び出しながら、hayakarとelimikaminoは、ユーパロの廃坑の谷に埋もれかけた近代の記憶を駆け抜け、夕張川を白い濁りの記憶とともに下り、石狩川に出て、千歳への入口としての江別、実際に千歳川(江別川)が合流するあたりにしばし佇むことになるであろう。

こうしてわたしたちの「北海道地図」はすこしずつだが着実に描き換えられていく。