昨日の「フィオナ・バナー:アルファベットと格闘する女」の続き。
The Bastard Punctuation, 2006-07
フィオナ・バナー(Fiona Banner)は Every Word Unmade, 2007 に自ら次のような興味深い注釈を添えている。
with the neon alphabet, 'every word unmade' i was thinking about a kind of unmaking of language. as if you could make every word, or story imaginable, from these 26 letters. all the potential is there, but none of the words. the fragile wobberly letters, a byproduce of incrementally, inexpertly bending the glass-then the electrical circuit pumping the gas through, make it like one big, constant stutter...words about to be made or unmade. because i have no practical experience of working with glass, the neon is kindof crappily made. the final piece reflects the struggle to control the medium, the language, if you like, that in turn reflects the struggle to define the meaning. letters without words...
フィオナはアルファベット26文字を象ったネオン管の作品を作りながら、言語の一種の破壊ということを考えていたと言う。既存の語ではなく、あくまでアルファベット26文字から、あらゆる想像可能な語や物語を自分で新たに作り出すことができるかのように。ネオン管の脆くて不安定な文字たちは、まるでひとつの大きな絶え間なく吃る言葉が生滅する寸前にあり、その言葉なき文字たちは、言語という媒体を操る闘い、さらには意味を定める闘いを反映しているように思われたという。
フィオナの考えは、言語がいわば機械的に文字に還元されうるとか、アルファベット26文字をあたかも語や言語を構成する要素や単位のようなものとみなすということではない。文字が文字として識別可能なのは、われわれがすでに全体としての言語を把握しているからである。われわれは言語のなかではじめて語を、そして文字をそれとして識別することができること、言うなれば、文字ひとつひとつに言語全体が迫り出してくることをフィオナの想像力は精確に捉えている。だからこそ、フィオナの作品は言語が言語たる全体の姿を脆くて不安定な蜃気楼のように映し出すことに成功しているように感じられるのではないだろうか。