現代の遠野物語

沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史

沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史

佐野眞一の長編ルポルタージュ『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』を読んだ。この本をガイドブックにして沖縄を奄美を大阪を歩きたいと切に思った。いや、この本を読みながら、私は佐野眞一に同行し、その傍らで生き証人たちの言葉に耳を澄ましていた。650頁を越す分厚い本。厚さは4センチを超える。しっかりと立ち、少しくらいの衝撃では倒れない本である。表紙カバーに使われた平良孝七の写真「多良間島 1975年」が凄くいい。一度見たら決して忘れられない少女の目つき。

佐野眞一は本書の成立経緯に触れて、使用した写真についてこう書いている。

 本書は「月刊PLAYBOY」の05年10月号から08年6月号まで、32回にわたって連載した「沖縄コンフィデンシャル」*1に加筆修正を施し、五つのジャンルに分けて再構成したものである。
 本書を執筆する動機については「はじめに」ですでにふれたので、屋上屋を架すことはしない。
 この本に対する私の思いは『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』という、やや挑発的で皮肉なタイトルにすべてこめたつもりである。本書の表紙カバーや各章の扉に使った写真も、沖縄を撮った夥しい写真のなかから厳選した。
 青い海、青い空や米軍基地というワンパターン化した写真はすべて排除した。見る者に何かを確実に訴えかけ、何かを感じさせる写真だと思っている。読者には、これらの写真からも私が伝えたかった沖縄の息吹を感じとってほしい。

 「あとがき」640頁

厳選されたという写真は、表紙カバー写真を入れて全部で6枚だけ。表紙カバーには「多良間島 1975年 © 平良孝七」、本文の五つの章の各扉に一枚ずつ順に、「嘉手納 1969年 © 東松照明」、「コザ暴動 1970年12月20日 © 沖縄タイムス」、「瀬長亀次郎 沖縄刑務所の前で 1980年 © 平良孝七」、「りんけんバンド 1991年 © 小原孝博」、「牧志公設市場 1961年 © 中村幸裕」。心を鷲掴みにされるような写真ばかりである。

本書執筆動機については「はじめに」ではこう書かれている。

 戦後日本のありのままの姿を見ようとするとき、私の視野にはいつも二つの国土がせりあがってくる。一つは満州、一つは沖縄である。 

(中略)

 日本の戦後社会を透視するため、満州という「時間軸」と、沖縄という「空間軸」を立てる。そしてその二つの軸がクロスしたところに結ばれた像こそ、われわれがいま暮らす日本列島の掛け値なしの姿ではないか。この仮説に、私はかなり前からとらわれていた。

 「はじめに」000頁〜001頁

満州という「時間軸」については、すでに『阿片王 満州の夜と霧』(2005年、新潮社)と『甘粕正彦 乱心の曠野』(2008年、新潮社)で描かれた。「戦後高度経済成長のシンボルである夢の超特急も、合理的な集合住宅も、アジア初の水洗トイレも、すべて満州で実験済みだった。」という。残るは沖縄という「空間軸」である。「いち早くアメリカの核の傘の下に入って、軍事防衛問題をほとんどアメリカという世界の警察国家にまかせっぱなしにし、経済分野に一意専心する」ために、「反対給付の人身御供(ひとみごくう)としてアメリカに差し出されたのが、沖縄だった。」しかし、沖縄という「空間軸」は一筋縄ではいなかい。佐野眞一天皇、米軍、沖縄県警、ヤクザ、商売、日本政府・官僚、芸能、マスメディア、犯罪などの視点からそこにかつてない強烈な光を当てる。四百人にのぼる生き証人へのインタビューから厳選された言葉を通して「仮説」が強力に検証されていくのが本書である。

「はじめに」の最後はこう結ばれている。本文を読む前はちょっと意外だったが、読み終わってなるほどと納得した。

 最後に私はこのルポルタージュを、柳田國男が『遠野物語』の冒頭に、「遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし」と述べたうえ、「願わくばこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」と記した箴言にあやかって、「願わくばこの沖縄の物語を語りて内地人を戦慄せしめよ」というつもりで書いたことを附記しておく。

 「はしがき」008頁

本書を読み進める内に、耳の奥で与世山澄子の歌声が微かに響き始めていた。『インタリュード』が見当たらない。

インタリュード

インタリュード

*1:コンフィデンシャル(confidential)は機密、裏情報という意味。