ソローと宮本常一



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しばしば「森の哲人」と呼ばれるソローは、実は「海の哲人」あるいは「海辺の哲人」でもあった。本書『コッド岬』はその証しである。*1

カバーの表題の右上に小さく「海辺の生活」とある。原書には見られない余計な配慮のようにも思われるが、これは明らかに『ウォールデン、森の生活』との対照を意図してのことであろう。しかし、飯田実氏が「訳者解説」の中で述べているように、その一見対照的な「森の生活」と「海辺の生活」とは、ソローにとっては「水」で繋がっていた。ソローはコッド岬で「海」を、より正確には、海と陸の境界としての「海辺」を再発見したのだ。ソローにとっては「森」と同様に「海」もまた文明社会の虚妄を暴いてくれる場所だったに違いない。

「第4章 浜辺(The Beach)」では、ソローは海鳴りが耳を聾するばかりに轟き続ける地の果てのようなコッド岬の海岸を歩いていたときにひとりの「漂着物拾いの男」に出会ったくだりの後に、18世紀のドイツの歴史家クランツ(David Crantz, 1723–1777)が残したグリーンランド人の生活習慣に関する次のような記述を差し挟んでいる。

岸辺に漂着した流木や難破船の残骸などを見つけた者は、たとえ土地っ子でなくてもそれを所有することができる。ただし、その物件を岸辺に引き上げ、所有者が存在する印として、その上に石ころをひとつ置かねばならない。この石ころが、いわば保証書となる。あとになってそれにけちをつけようとするようなグリーンランド人は一人もいないからである。(David Crantz, The History of Greenland (London, 1767), Vol.Iより)

諸国民の本能に根ざした法律とは、このようなものである。(88頁)


流木の上に石ころ、、。この記述を読みながら、ソローをはるかに凌ぐ「歩く人」だった宮本常一による昭和34年の佐渡の海辺の記録を思い出していた。


新潟県佐渡市藻浦。小石を置いて流木占有を示す(8月7日)」(『宮本常一が撮った昭和の情景(上巻)』毎日新聞社、2009年、73頁)



「石が置かれた流木。流木に石を置くことによって持ち主のいることを知らせた。新潟県佐渡・真更川−鷲崎。昭和34年8月7日」(佐野眞一著『宮本常一の写真に読む失われた昭和』平凡社、2004年、120頁)


宮本常一は、このような習俗に関して次のように説明した。

海ぞいの道ともいえないようなところをあるいてゆく。浜には流木がすこしうちあげられている。その木の上に石がのせてあるのが目につく。流れついたものにはこうして石をのせておけば、それは私がひろったものですというしるしになる。(中略)
 こうした習俗はどこにも見られる。それは全国にわたっている。石をのせた人は誰であるかわからない。もちろん木を失った人もわかってはいないけれども、こうして石をのせておけば、石をのせた人以外にその流木に手をかけたり持っていったりするものはなかった。そしてそのうちひろったものが持ってゆくことであろう。私はこのような習俗をおもしろいものに思う。しかもそういう習俗が全国にわたっているということである。
 不文の約束ごとが守られることで民衆の社会は成り立つものである。人が人を信じられるのである。見知らぬ人をもそのことによって信ずることができた。さびしい海岸であった。人一人見あたらぬ世界である。しかしそこにも人の意志が働いている。(『私の日本地図7・佐渡』、佐野眞一著『宮本常一の写真に読む失われた昭和』99頁〜100頁からの孫引き)


これは、すでに崩壊してしまった「共同体」の失われてしまった「相互扶助」の精神を象徴する習俗のひとつだろうが、しかし、失われてしまったことをただ嘆いていても仕方がないし、その記録や記憶をただ愛でたり、反芻しているだけでは仕方がない。本当にいいもの、必要だと感じるものなら、自分なりに再生させるしかないだろう。例えば、宮本常一の意思を継いで、沖家室島で生きる松本昭司さんのように。思うに、私にとっても、例えば、朝の散歩で、ふと何かを感じて、いわば「本能的に」、誰もいない公園で壊された雪だるまを修復してみたり、あるいは、子どもたちが作った「アジト」に小枝などを挿して共感の印を残してみたりする行為やそれをこういう場で公開する行為は、それに通じているのかもしれない。

*1:本書は、飯田実氏による、ヘンリー・デイヴィッド・ソローHenry David Thoreau)の『コッド岬』(Cape Cod, 1865)の初の全訳である。1993年に工作舎から出た。工作舎ならではのエディトリアル・デザインのノウハウが惜しみなく注ぎ込まれた19世紀の欧文書物を彷彿とさせる組版、造本は流石である。奥付けには「手動写植印字」とある。『コッド岬』の邦訳に関しては、それ以前には『アメリ古典文庫4 H・D・ソロー』(研究社、1977年)に収録された島田太郎氏による抄訳(「第1章 難破船」と「第10章 プロヴィンスタウン」のみ)がある。