日本に健全な資本主義を根付かせようとした渋沢栄一(1840–1931)、それを継承しながら進んで没落する一方で真っ当な学問の土壌を耕した孫の渋沢敬三(1896–1963)、そしてその狭間にあって遊蕩に身をやつし廃嫡の憂き目にあった渋沢篤二(1872–1932)。
- 作者: 佐野眞一
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1998/11
- メディア: 新書
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佐野眞一は、あくまで資本集積の論理を追究したキャピタリストだった三井家や三菱財閥を興した岩崎家とは異なり、「財なき財閥」と呼ばれた渋沢家、その三代を、拝金思想に冒されるはるか以前のスケールの大きな「忘れられた日本人」として浮き彫りにする。
三人三様の人生の筋の通し方とうっちゃり方が大変面白かった。栄一の反独占的な資本主義経済のビジョンと実践、敬三の百年先を見越した学問のビジョンと私財を抛ってのパトロネージュの立派さはいうまでもないが、表向きにはもっとも情けない人生を歩んだ篤二が、ある意味で最も健全だったのではないかとも感じた。栄一が最期まで敬慕してやまなかった最後の将軍・徳川慶喜(1837–1913)と、栄一が心を鬼にして勘当した篤二とが驚くほど似ていたということも興味深い(本書168頁)。例えば、31歳で隠居し趣味に生きたといわれる慶喜は当時(明治二十年代)日本に入って来たばかりのダゲレオタイプ(銀板写真機)に夢中になった。篤二は1899(明治32)年の欧米外遊中に写真撮影に没頭した。父親の篤二にアンビバレントな感情を抱き続けた息子の敬三は、しかし、最晩年には、篤二の撮った写真を明治期の貴重な記録写真集『瞬間の累積』(1963年、asin:B000JAFCRM)として刊行したのだった。非常にセンスのいい、意味深長なタイトルだ。忘れてはならない世界の細部の瞬間瞬間の知覚の累積ということを想像させる。見てみたい。
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